2010年5月2日、勝間和代さんが司会を務めるBS放送の「デキビジ」という番組にひろゆきこと西村博之氏がゲストとして登場。ネットの匿名性や若者の起業の難しさといったテーマで議論をしました。
ところがこの対談、双方の議論が全くかみ合わないばかりか、議論に乗ってこないひろゆき氏に対して勝間氏が上から目線で自分の意見を押し付けるような印象を視聴者に与えたことから、放送終了後にネットで話題になり勝間氏のブログに数千のコメントがついて炎上したのでした。
この件については、ひろゆき氏、勝間氏双方が自分のブログで番組収録当日の非礼について謝罪と反省(と寝不足という言い訳)を掲載する形で落ち着いたのですが。
しかし、番組の中では、全く議論がかみ合わなかった状態だったので、ある意味その仕切り直しとして、ホリエモンこと堀江貴文氏を司会としてひろゆき×ホリエモン×勝間和代の3者鼎談を計7時間にわたって行い、その内容がノーカットで「そこまで言うか! Talking For 7Hours 」というタイトルで本になりました。
上昇指向の代表勝間氏、ニート代表ひろゆき氏、ネットバブル期のヒーローにして得体のしれない怪しげな元IT社長でネット界のアウトサイダー代表ホリエモンといった感じでしょうか。
34歳から42歳という年齢で、いずれもネットにかなり深く関わっている人たちであり、まあもしかしたら日本という国の次世代をつくるような世代かもしれません。(モバゲーの南場智子社長が48歳、楽天の三木谷浩史社長が45歳、mixiの笠原健治社長が34歳、GREEの田中良和社長が33歳。)
ネットから幸福論、ワークライフバランス、マンガに政治と幅広いテーマについて語り合った鼎談で面白くこの本、読みました。
で、この対談の第3章「お金があれば幸せ?」とタイトルを打たれた会話の中でしあわせについて語り合っているのですが、その言葉が先日私が書いた
ブログ投稿「しあわせって何だっけ?」でのsnafkin7氏とのコメントのやりとりの内容ととても近いものでした。驚くほどに。タイミング的にもシンクロニシティ的というか、みんな似たようなことを考えているんだな、という共通感覚というか。
しあわせかどうかの基準は、自分がどう感じるかであって、他人と比較なんてするものではない。他人からどう見えるかなんて気にする必要はまったくない。そんな考え方が先日のブログでのコメントのやりとりとこの本での対談の会話との共通接点。
という訳で、この本からしあわせに関する会話を引用してみます。
青志社 「そこまで言うか! Talking For 7Hours 」ひろゆき×ホリエモン×勝間和代 より
<引用開始>
勝間:でも、たしかにお金だけあっても、幸せになれないですよね。
堀江:そうなんですけど、ひろゆきとの対談での勝間さんは、お金があれば幸せ、と言っているように見えましたよ。見えてしまっていた、と言ったほうが正しいのかもしれないけど、そういう感じのキャラになっていました。
西村:堀江さんも昔は、そういうキャラに見られていましたよね?あ、今もそうですか?(笑)
堀江:うん、俺は今でもお金がすべてな感じのキャラに見られていると思う。まぁ、これは俺が何を言っても、もう変わらないと思うよ。
堀江:ひろゆきは今が幸せだったらいいわけでしょ?
西村:僕は僕個人の欲望で物事を判断するんですよ。社会構造とか社会の影響は、たしかにありますけど、結構どうでも良かったりする。自分が幸せになればオッケー。
堀江:だよね。でも、満足している現状から次を目指そうと思ったら、お金が必要なことも多いから稼がないといけないし、お金は大切だよね、と。勝間さんが海外に移住しようと思ったら、ある程度のお金を稼がないといけないわけだし。
西村:・・・・・・僕、ほとんどお金を使わないんで。
堀江:みんな、僕のことを最初から金持ちでずっと金持ちだと思っているんですよね。そんなこと、ちょっと考えれば違うことに気がつくはず。それなのに、僕が貧乏時代の話をしても、誰も聞く耳を持たないわけですよ。実際、月収7万円でも暮らしていたこともある。それを湯浅誠さんとかは、「暮らせない」と断定する。7万円のエコノミーな生活も、楽しもうと思えば楽しめると思うんだよね。無理してダイエットする必要もなくなる(笑)。海外旅行だってできたし、国内旅行も僕がやったようにヒッチハイクをすればできる。だから、お金なんて要らなかった。それでも、十分に美味しいものも食べられるし、生活に不自由するレベルではなかった。現状に至るまでに、物理的な生活レベルは変わったとは思うけれど、僕はお金の絶対額で個人の多幸感の度合いが変わるとは思えない。それは気の持ちようだし、将来に対して何を思っているかにもよるし。
西村:お金を持っていたら幸せだ、というわけではない。
堀江:うん。幸せの尺度の問題。それが僕は大事だと思う。そして、一般的な平均像に幸せを求めてしまうと、勝手に不幸に感じてしまうような気がする。
西村:比較対象を作ってしまう、ということでしょ?
堀江:そう、だからたとえば結婚して子供を作らなきゃいけない、とか、車や家を持ちたい、とか考えだすと不幸を実感してしまう。その辺を勝間さんは、どう思いますか?
勝間:私、以前から「家を買うな」という話をずっと言っているんです。それは、何らかの形で自分の自由度を縛るようなお金の使い方をしてしまうと後で不幸になるからです。
堀江:そういうお金の使い方をしているのは他人と自分を比較するからなんですよ。本来、絶対的であるべき幸せが、相対的なものになっているんです。だから、持ち家は持たなければいけない、持ち家を持つことが成功者あるいは中流の証、みたいな幻想がある。
堀江:右を見たり、左を見たりして、他人と自分を比べてしまう。僕は誰しもが「見なければいい」ですべて解決すると思うんです。「その問題を解決するためにメソッドが必要なのか?」と思うんですよ。結婚なんてしなければいいし、子供も作らなければいい。何でダメなの?
西村:それは、日本に宗教がないからじゃないですかね?価値観がないんですよ。
堀江:価値観がないことが原因なのであれば、どうやって価値観を持たせるのか。
西村:どこかに所属している感覚が重要なタイプと、あまり気にしないタイプがいて、前者はどこかに所属していようがしていまいが楽しめる猫で、後者はどこかに所属してるという感覚がないと楽しいと思えない犬。その差だと思うんですよね。犬は必ず群れにいるけど、猫は好き勝手に行動する。で、犬タイプの人はやっぱどっかに所属していないと幸せを感じないわけですよ。
堀江:世の中、犬タイプが多いんじゃないのかな。
西村:それはわからないですけど、その犬タイプの人が、労働や会社を、”所属する場所”と勘違いしてしまっている。だから、会社から放り出された瞬間に「あーれー」、就職しようと思ってもできずに「あーれー」、というような状態になる。中高大と学校という枠に所属していて、次もどこかに所属しようと就職活動をするんだけど、所属先がなくて、どうしていいかわからない、みたいな。
堀江:なんで、そんなに社員になりたがるんだろう?就職活動をしている人たちが「なかなか社員になれない」とか言うけど、それだったらコンビニでバイトすればいいじゃん。だって、中国人はバイトしてるわけだし。
勝間:どこかに所属していないこと自体が、周りの人からみて非難の対象となってしまうんですよね。
堀江:教育とかで、そういった価値観が植えつけられている。でも、それは何とかしなきゃいけないわけですよね。
西村:うーん・・・。みんな自己評価が高すぎるんですよ、きっと。コンビニに所属することでも幸せを感じることができるはずなのに、「コンビには俺の居場所じゃない」と思っているから、コンビニで働かないわけですよね。でも、現実は「俺はきっとトヨタで働くべき人間だ」と思っていてもトヨタに就職できない。単に自尊心が高すぎて、現実と折り合いがついてない、という話だと思うんですよ。それは個人の問題だと思いますけどね。
西村:そもそも、「ちゃんとした会社の正社員以外は幸せじゃない」と考えること自体が、僕は間違っていると思うんですけど。
勝間:非正社員でも構わないけれど、先が見えないことが不安という話ですよね。
西村:どこの会社でも、潰れる可能性がある時代なんですけどね・・・。
西村:でも、自分が上のほうにいて、「年収600万円の男性のお嫁さんにならなきゃいけない」と思い込んでいる人は難しいと思うんですよね。自分の本来の居場所はもっと下であるということに気づけていないし。
勝間:だから、そういう人たちは結婚できないんですよ。
西村:現実との折り合いが取れていないわけですよね。
堀江:みんな現実の自分を受け入れないといけないよね。高度成長があって、誰しもが、そこそこの生活ができる”中流”になれると思っていたわけだよ。でも、バブルが崩壊して、誰しもが中流になれなくなった。冷静に考えれば中流になれる人数は限られているわけだから、自分がその中に入れないことくらい理解できるはずなのに。
西村:日本の教育というのは、「与えられた中から選ぶ」というものではなく、「与えられたものをこなす」ということしかやっていない。だから、いざ社会に出ても、自分はどういう情報を得るべきで、どういうスキルを磨くべきなのか、の正解を誰も教えてくれない。すると、とりあえず言われたとおり、レジ打ちや商品陳列をして時間が過ぎていってしまうんだと思いますよ。
勝間:そこは、マスメディアの情報だけでなく、ネットや周りの知人たちからの口コミ、あるいは書籍レベルのメディアを使って、コントロールされないようにしていくことが大事だと思います。
西村:みんな、広告媒体に踊らされて、その情報が正しいと思いますよね。
勝間:広告の内容なんて、ポジショントークに決まっているじゃないですか。
西村:そうですよ。雑誌に載っていたりテレビに出ているものは、基本的にほとんどが広告だったりしますし。だけど、掲載されているその情報を、みんな正しいと思い込んでいる。それも教育なのかな?
堀江:それは教育ではなく、思い込みだよ。
勝間:メディアに対する無批判性ですよね。
西村:偉そうな人が話していることを正しいと思い込んでしまうんですよ。学校の先生も同じで、”偉い”といわれているから生徒は正しいと思いこむ。テレビも同じで、偉そうでカッコイイ人が言っていることは正しいと思ってしまう。
勝間:でも、正しいのか間違っているのかを自分の頭で判断できないのは危険ですよね。もちろん、論拠となるデータを用いて伝えられればいいと思うんですけど。
西村:昔は、おばあちゃんと一緒に住んでいる大家族が多かったりして、「テレビとかって嘘だから」とか大人が基準を教えてくれたりしたんですけどね。
西村:本来は自分のなかで絶対的な価値観を持つべきなんですよ。これを食べたら美味しいとか、ゲームをやって楽しい。趣味やって楽しいでもいいし、彼女ができて楽しいでもいい。一つ一つの楽しいことの積み重ねでいいと思うんですよ。他人の評価を気にせずに。
<引用終了>
長々と引用しましたが、簡単に言うと、お金があるからしあわせだとは限らない。お金がないからしあわせになれないわけでもない。
しあわせの基準は本来自分の中にある。他人と自分を比較することは間違っている。高級車に乗っているからとか、旦那の年収が高いからとか、子供がたくさんいるから、とか、そういったことで幸福が測れるわけはない。
とかく、世間からはイロモノ的な見方をされることが多いような3人ですが、考えていることは普通にまともだなとこの本を読んで感じました。
ただ、世の中のおかしなところは正すべきで自分なりのやり方で影響力を使い、社会のあり方にコミットしようと考える(社会批判する)勝間氏に対して、世の中を変えようというようなことは口にせず、あくまで自分のありかたのみを語るひろゆき氏との対比が印象的でした。自分のちからではどうせ世の中なんて変えられない。そんなことにエネルギーを使うくらいなら自分のために使う。そんな姿勢のように思えた。「さめてる」とはこういうことを言うのかもしれない。
<おまけ>冒頭で書いた、そもそもの発端となったひろゆき氏と勝間和代氏とのテレビ対談の経緯についてもっと知りたい方はこちらをご覧ください。
勝間和代 vs 西村ひろゆき テレビ対決 at「デキビジ」
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