2010年9月21日 新・今どきのメッセージ論/snafkin7
『おかえりちゃんの現象学 ★ 11億PVの凄さ』
via snafkin7.bloggers-network283.com
上記のsnafkin7さんのブログにコメントしたのですが、その自分のコメントがなんだか自分で気に入ったので、自分のブログに引用、再掲します。snafkin7さんのブログとそのコメントに触発されたものです。
まずは、上記のブログでのsnafkin7さんのコメントから引用
鍛冶哲也さん、コメントありがとうございます。
働いてこのかた、「○○○○マーケティング」という言い方、流行は、数多くあって、この歳になると(どの歳?・笑)、またか、もういいよという気持ちになってしまいます。
ソーシャルについても、SNS機能として、ああ、あるね、ああ、つけとこね、とか思っていたらいいんですが、あんまし肯定しない、懐疑的なところにいようところに今います(笑)
おかりえちゃん特集のTVを見ていて、いいなと思ったのは、本人の幸せそうな顔、マネッコ達の幸せそうな顔、おかりえちゃんと直接会って感激しているギャル達の顔、おかりえちゃんの情報、ファッションでみんなハッピーになっているんですね。
そこなんですね、自分が幸せになりたい、みんなを幸せにしたいっていうのが根本の力になっている。
企業も本当に、そういう原動力で取り組むならば、ソーシャルなもんは力を持つと思います。そういう企業もあるとは思います。
戦いを略する戦略。そういうものもあっていい。AKBのじゃんけん大会は面白いと思いますね。フツーだったら浮上しない娘が浮上した時に、また新しい何かがスパークするかもしれない。今回は40位くらいの娘がセンターをやるわけですが、これまた、幸せそうな顔をしているわけです。
今の日本に欠けてるのは、幸せそうな顔ですね。
この夏、中国行って、悔しいなと思ったのは、カップルの凄く幸せそうな顔なんです。あいつらには、なんか凄く夢があるみたいなんです。そんなんないよとどこかで思ってるこちらが恥ずかしくなるくらい、夢があるみたいなんですね。
最終的にみんなを笑顔にさせることができたら、本当にいいマーケティングなんだと思います。
龍馬伝の見過ぎかもしれないですが…(笑)(引用終了)
(ここから上記に対する私のコメント)
コメントをみて、素直に共感するとともに(中国のことは体験としては知らないですが)、「幸せって何だっけ?」というフレーズが浮かんできました。
何か、そのニュアンスは、シンプルな地点に立ちかえることかな、と。他人と比較して今の自分のポジジョンがどうとかこうとかとか、ゴールを設定して今それに対して何パーセントとか、あれこれ頭で考えるんじゃなくて。
暑い日の続く夏に、冷たいビールを飲む時のシンプルな幸せ感。サクサク動くパソコンで思いつくままテキスト打ってる快適感。(会社のパソコン重いので(^^;)
将来に対する漠然とした不安みたいなものって、今の日本にはあるんでしょうけど、とりあえず、今日、生きるか死ぬかという状況ではない。(たまにあるかもしれませんが。)明日の不安をあれこれ思い悩むよりも、今、この瞬間に楽しいことをやろう。
シンプルな快楽主義。明日の心配は明日、すればいいという楽観主義。今ある自分をそのまま受け入れる自己肯定。幸せの基盤とはそんなものでしょうか。
今の時代、お金があるのとないのとでは随分と選択肢の差があることも事実だけれど、お金がなくても楽しく過ごすことはきっとできる。そのためには工夫が必要だけれど。自分なりの試行錯誤が必要だけれど。
110円あればコンビニで冷たい(第三の)ビールが手に入る。つまみなんてなくても、そこに幸せを感じられれば。それでええじゃないか。
そんなシンプルな幸せ感を、人とわかちあおうというオープンマインドがあれば。幸福感のレバレッジと持続性の拡大はできるのではないでしょうか。そのための道具立ては既にできているし。
なんだか、テーマが大きくずれてしまったみたいで。(失礼)(^^;)
(snafkin7さんのブログへの私のコメント 終了)
お金があれば幸せな訳ではない。
お金に執着すれば、それは幸せとは逆の方向に向かう。
幸せへの第一歩は、その基準を他人ではなく自分の中に置くことだと思う。自分が今、どう感じているか。他人からどう見られているかではなく。その意味で自分を中心に置く。「誰に何を言われても構わない」と開き直る強さ。シンプルに自分自身と向き合う率直さ。
他人をうらやんでもいいことなんて何もない。ねたみや嫉妬は人を不幸にする。それは古今東西、昔話の中で繰り返し語られてきた昔の人の知恵ではないかと思うのですが。
シンプルな立ち位置に帰る。
自分を深く探れば、人とつながる地平がみえてくる。底の方では人と人とは共通しているから。つながっているから。人とつながる水脈に辿りつければ、それを実際に広げるための手段はネットの中にいくらでもある。共感のネットワークを広げるためのしくみは。
シンプルな場所で、まずは自分が幸せになる。人とつながるのはそれから。幸せな気持ちをシェアしたいというシンプルな思いも、人にはきっとあるから。
不幸な輪を広げたってしかたない。だからまず自分が幸せになることから始める。幸せを独り占めしたい人だっているかもしれないけれど。私にはそれは何か不自然な感じがする。或いは不健康な感じというか。オープンな方がいい。
面白いネタを共有しようというオープンなマインドがネットにはあると思う。一緒に楽しもうというような。ネットに対する私の楽観さは、このオープンなマインドに対する信頼感に基づいているのだと思います。楽しいものをシェアしようという、そんなシンプルな姿勢。
しあわせな感じをつなぎ、広げる力がネットにはある。ただし手段として。それを広げようとする根本的な原動力は人の心の中にある。
アナキンの中には善の心が残っている。そう信じるルーク・スカイウォーカーの楽観主義。
シンプルな快楽主義。
明日の心配は明日すればいいという楽観主義。
今ある自分をそのまま受け入れる自己肯定。
幸せの基盤。
110円で買える幸せ。
それを大切にしたい。
消費税は払わなければならないわけだけれど。
自分の幸せのために払った110円に対する消費税も、きっと誰かの幸せのために使われるはずだと言い聞かせ、信じることもまた、楽観主義なのでしょうか???
末筆ながら、ブログへのコメントの転載を快く承諾くださったsnafkin7さんに御礼を申し上げます。
最近のコメント