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2010/09/04

コメント

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kenji_namba

同感です。
「正しいものはない」というのがここ最近の私のテーマでもあります。
議論をする目的は「正しい」を見つけることではなく、異なる立場・観点から見た考え方を理解し合いお互いを成長させることにあると思います。その上で目の前にある問題や選択肢に対して「より適している」選択ができれば今よりも少しだけいい世界となれるんじゃないかと思っています。

Account Deleted

リブログありがとうございます。で、いま自分の書いたものを読み返してみて、

> 「AはBである」という命題は、「AはBではない」という命題と対立します。

が誤っているのを発見しました。「AはBではない」ではなく、「BはAではない」と対立するんですね。

このように、私の書くことは極めていい加減です。

> ときには事実の誤認や自家撞着があるとしても

じゃなくて、事実の誤認や自家撞着ばっかりなんですね。それでも、どこかで「正しい」と言い張るのは、結局は、自分の行動がよってたつのは、自分の認識でしかないからなんだろうと思います。その認識は、どこまでいっても誤認や自家撞着の集積でしかありません。けれど、それを前提としなければ、一歩も進めないわけです。朝になって布団から出ることも、飯を食うことさえできない。

だから、間違っている認識が、「正しい」と。間違ってますよねえ。


鍛冶 哲也

nambaさん

コメントありがとうございます。
たったひとつの正解がないということは、シロかクロか、ゼロかイチかの2択ではなく、その中間点のどこに着地するかという、アナログな結論をだしていくことになる。

シロが72%に対してクロ28%というような。さらにその中で1%の増減について議論するというような。

もしかしたら、それは非常に辛抱強い忍耐を強いるプロセスであるのかもしれません。

単純に、敵か味方かで区別して対処するのは簡単で効率はいいかもしれない。しかしそれは望ましい方法ではない。

議論をし、コミュニケーションして相手を理解するためには相応の努力が必要です。忍耐も。それでもそれは必要なものなのだと思います。

鍛冶 哲也

松本さん

引用させていただいたもとの記事、少し前のものですがずっと意識の中にあって気になっていたもので全文引用させていただきました。


> だから、間違っている認識が、「正しい」と。間違ってますよねえ。


↑これに対して、「それは正しい!」と答えるべきか。それとも「それは間違っています!」と答えるべきか。頭、混乱します。(笑)


結局、「自分は正しい。そしてあなたも正しい。」も、「自分は正しくない。そしてあなたも正しくない。」も、同じことをいっているようなものです。

問題は、「自分は正しい。そして自分以外は正しくない。」と決め付けて疑わない人。そして「自分は正しい。そしてあなたもまた自分は正しいと主張する。それならどっちが正しいか勝負しよう!」となってしまう人。

もともと日本にはやおよろず(八百万)の神がいたんだから、それを採用すればいいのに。

正解は少なくとも八百万の数だけあります。あなたはそのうちいくつまであげられますか?

鍛冶 哲也

コメントを書いていてふと思ったこと。

確かに世の中は白か黒かのどちらかで割り切れるものではない。私はそう思っているのですが。

そういう考えでやっていくと、どうしても判断が玉虫色になる。どっちつかずになることもあるし、時には判断停止状態になることもある。

今の日本が置かれている状況。年金や医療保険などの社会保障や或いは巨大な国債の債務についての問題先送りによる制度疲労状態。この状況は玉虫色な判断保留を続けてきた結果であるのかもしれない。

ふと、そう思いました。

しかし、確かに過去を断ち切るためにはゼロかイチかの判断が必要かもしれない。スクラップ&ビルドのためにはそのような判断が必要かもしれない。

けれども、果たしてこれまでの日本は上記のような問題を真正面から取り上げて議論したことがあるだろうか。議論したうえで玉虫色の結論を出し続けてきたのだろうか。

どうもそうではないような気がします。議論そのものを避けてきた。問題の存在そのものを無視してきた。臭いものにフタ。議論を避けるという行為の最悪の結果の見本のような状態が今の日本であるかもしれない。

そうであるなら、今は何でもかんでも議論の俎上にあげるのがよい。消費税でも法人税減税でも子供手当てでも高速道路無料化でも普天間問題でも年金でも医療でも雇用でも介護でも教育でも規制緩和でも特殊法人でも国の借金でも。

いずれにしてもここまでうず高く積みあがった問題を解決するためには、現在の社会保障制度を削る以外に方法はないだろうと思うけれどね。そのための方法論を考えなきゃいけないと思う。

経済が大きく成長することは望めず、人口は減少に向かう状況の中で、他にどんな選択肢があるというのだろう?

答えは借金の積み増し以外にないよね。たぶん。

Account Deleted

「玉虫色」の結論を出すために議論をするんじゃないんですよね。妥協することはけっして目的じゃない。妥協は無意味なんですよ。妥協は常に負けです。90%の勝利というのはないんですね。10%でも負けたら負けです。

ただ、政治は(政治というとあの世界を思い浮かべてしまうなら、行政と言ってもいいし、自治といってもかまいません)どこまでいっても妥協の世界なんですよね。ぜんぶ妥協です。だから、政治の世界に勝者はいない。勝負をしてはいけない世界なんでしょうね。政治というのは。けど、政治問題というのは人の命に、生き方に関わってくる。勝負がかかってくるわけです。

このあたりについては、いろいろ思うところがあるんです。で、鍛冶さんに触発されて記事を書こうと思ったんですが、あまりに重すぎてギブアップしました。いろんなひとの複雑な思いがありますからね。書くのはつらいです。いつか書かねばとは思いますけれど。

Account Deleted

自民党?民主党?菅?小沢?
利権が移るだけで、一般人には何もなし。
どちらも正しいんじゃなくて、
どちらも間違えてるんじゃないのですか?

世界も社会も間違えてて、
自分達はその間違いを構成する一部と
考えるのも面白いと思います。

そして、それに嫌気が差した潔癖症の
指導者が、核ミサイルのボタンを・・・
そんなSF小説があったような記憶があります。

鬼束ちひろさんが「月光」が
大ヒットしたのは、多分みんな、
わかってるんでしょうね。

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