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2010/10/24

コメント

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鍛冶 哲也

↑てな具合にジョブズを持ち上げたところで補足を。

ジョブズはすごい人ですが、でも、彼は特別。というか、特別中の特別。現代という時代の天才です。

簡単に真似できる相手ではない。

ジョブズは、「ほんとうに大好きなことを仕事にしろ」みたいに言いますが、そんなことできる奴なんてほとんどいない。(これ読んでる人の中にはいないかもしれないけれど、就職活動中の人に向けて言っときたい)

この言葉を就活中に真に受けちゃうと、就職できなくなります。自分探しというのは、ほとんど永遠の課題だからです。ほんとうに大好きなことなんて簡単には見つからない。私は40代ですが、まだ見つけていない。自分が好きなことと仕事との接点は、私にとって見つかっていません。簡単に見つかるものではない。

「ほんとうに大好きなこと」を見つけるまで待っていたら、就職なんてできなくなるよ。たいていの人はもっと運命に身を任せていると思う。「ほんとうのこと」は長い時間をかけて探すもの。なのだと思います。一生のテーマ。就活中にそれをやるとダメ。簡単に答えは見つからないから。40年かかっても見つからないんだから。私の場合はね。

求めることは大切だけど、あせることはない。答えは簡単にはでない。走りながら考えるしかない。動かなきゃ。考えているだけでは動き出せない。動いてみることで初めてわかることだってある。やってみなきゃわからない。答えなんてわからない。人生はいつも途中だから。完璧な答えなんて見つかるわけがない。迷いがなくなることはない。だったら、そんな自分も受け入れるしかない。迷いながら先へ進むことを選ぶしかない。いつだってやり直せるんだって思うことも大切だと思う。「とりあえず」で走り始めることも必要なことなんだ。

完璧とは、求めても得られない、決して到達することのない永遠の目標。

完全ではない自分に不満を持ちながら、不安を持ちながら、でもそんな不完全な自分を受け入れながら生きていくしかない。ありのままの自分を受け入れるしかない。そこから次の一歩を踏み出していく。今の自分から始める。理想へと少しでも近づけるための道を、手探りで求め続け、歩き続けるしかない。

歩きながら、求め続ける。

mugendai

確かに、スティーブ・ジョブズは特別です。まねをしたらやけどする。今、ちょっとセレンディピティ(何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力)にこだわっていまして、ちょっと鍛治さんのエントリーにかぶってしまって、お断りを。やっぱりスティーブ・ジョブズのスピーチを題材にしたエントリーを書きました。偶然の出来事をつないで、つまり点と点をつないでいく事を信じきった男、スティーブ・ジョブズの人生にはセレンディピティが深くかかわっていた。と言うわけです。

鍛冶 哲也

コメントありがとうございます。
mugendaiさんのブログとは、テーマがクロスする接点がいくつかあることを感じています。

上のコメントで触れられているmugendaiさんの「スティーブ・ジョブズのセレンディピティ」 http://mugendai.bloggers-network283.com/2010/10/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3.html という投稿でもジョブズの同じ言葉を引用されていますが、それだけではなく、ジョブズの「信じる力」についての関心の点でも接点があると感じています。

それは例えば、mugendaiさんの引用するジョブズの次の言葉。「自分の根性、運命、人生、カルマ・・・何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで、君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。」

そして、私が本文で引用しているアップルの「シンク・ディファレント」の広告についての記述。「クレージーな人たちに乾杯。はみ出し者。反逆者。厄介者。変わり者。ものごとが世間と違って見える人。ルールなどわずらわしいだけの人。現状など気にもしない人。」という言葉を引用した時、私の頭にはmugendaiさんの下記のブログにあった「バカ者」という言葉が浮かびました。
「『バカ』について考える」http://mugendai.bloggers-network283.com/2010/10/%E3%83%90%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B.html
「コリコウな人々」http://mugendai.bloggers-network283.com/2010/10/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%80%85.html

そして私もまたセレンディピティについて感じるものがあるのですよ。
「serendipity」http://denkiami.bloggers-network283.com/2009/05/serendipity.html
こんなことも意味のある偶然かもしれないなんて感じます。いろいろなところで、いろいろな形でつながりがある。関係性の網の目の不思議さを感じたりもします。

「袖摺りあうも他生の縁」という言葉もありますが、そしてジョブズも何か、「カルマ」という言葉を使っていますが、「業」とか「因果」とか「因縁」とか、不思議なつながりを示す言葉はたくさんありますね。

世界はつながっている。

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