Facebookその2の原稿を書いていたのですが、たった今みたNスペで放送された、チュニジアとエジプトの変革がFacebookをきっかけに起こったという内容の「独裁政権vs若者たち 中東ネット革命の真実・攻防の舞台裏」という番組が衝撃的だったので、その話題を。
チュニジアもエジプトも、根本的な原因は民衆の不満にある。若者に職がないという、経済的な失敗が大元ではないのか。食えないということは最大の不満だろう。それに追い討ちをかけたのが、役人や警官によるワイロということか。
確かにインターネットはデモの口火を切ることになった。情報共有のツールが人々の行動を促した。人々の背中を押した。行動に向けて押し出した。
全ての発端は、チュニジアで焼身自殺したひとりの若者。ストリートの屋台で果物を売っていた時に、ワイロを求める警官に、商売道具を没収されたことに始まる。
エジプトでの変革を引っ張った若者を突き動かしたのは、国営企業の車により自分の弟がひき殺された事件。それが闇に葬られたことへの怒り。これは変革の遠因だろう。
正義の通らない事件。それがきっかけ。いずれにしても、政府に対する民衆の不満が変革を引き起こした。それは間違いないだろう。
Facebookはその引き金となった。そういうことだと思う。ツールだ。圧政を敷く政府の元ではマスメディアは政府に統制されている。政府に都合の悪い情報はテレビにも新聞にものらない。チュニジアの焼身自殺も新聞にはのらなかった。
マスメディアという、従来の情報ルートとは全く別に、個人でも不特定多数に向けて情報発信ができる。それがインターネットの特徴だ。その点が、この変革に活かされたということだろう。それがポイントだ。
エジプトでは政府の秘密警察が反体制派を装い、Facebookに紛れ込んで、偽の情報を流したり、デモ扇動者のパスワードを盗んでそのアカウント消したりという反攻を試みたという。アカウントを消されたユーザはすぐに新たなアカウントを獲得したというが。業を煮やしたエジプト政府は、国内4社のISPに圧力をかけ、インターネット接続そのものを切断した。しかしそれでもデモは止まらず、さらにはアノニマスという名のインターナショナルなハッカー集団によるエジプト政府のサーバーに対するシステムダウンと機密情報抜き取りの攻撃を受け、たまらず降参、インターネットへの接続を再開したんだそうな。アノニマスという集団の正体は知られていないと言う。それが果たして正義なのかどうかもわからない。なにしろその手段はテロと変わらない。正義か邪悪か、判別が難しい境界線上の存在だ。両義的と言ってもいいかもしれない。
とはいえ。民衆の民意が、政治の変革をもたらしたという点に、私は強い感銘を受けた。ただし無血革命ではない。デモをした民衆にはけが人も死者もいる。デモ制圧に当たった警官側にも犠牲者はいることだろう。しかしそれでも、これだけの変革にしては、犠牲者は最小限ですんだといえるだろう。いずれにしても変革は現実化したのだ。
しかし私はこれを「ネット革命」と呼ぶことに対しては、2つの点で違和感を覚える。ひとつは、この変革において、ネットは原因ではなく、トリガーでありツールであったということ。
もうひとつは、この動きが単純に政権打倒を目指したものであり、目指すべき理想を持っていなかったということ。政権を変えることは求めていたが、どんな社会を創りたいのか、ゴールが定まっていなかったということだ。極論すれば、不満だけがあったということだ。
結果として現在、両国は混乱の中にあり、今後の行方については予断を許さない。誰がどのように政権を握るのか。政権打倒の一点については一致した民衆は、現在、様々なグループに分裂している。様々な利害が対立し、民衆はバラバラになっている。エジプトのデモにはムスリム同胞団というイスラム原理主義の団体も参加していた。国を今一度ひとつにまとめることは大変なことだ。国をゼロから創り直すに等しい。
この混乱の先を定める方向性をあらかじめ持っていなかったことが、この動きを革命と呼ぶことをためらわせる。この混乱の中から、安定を見つけることは、壊すこと以上に大変なことだ。共通の敵を前に団結した民衆は、その敵を消した後で共通の目標を失った。ここから先はカオス。カオスは周辺諸国に広がっている。混沌は国境を越え拡大している。
だが、それでもこれはよい流れだと私は思う。この混乱の中から、国をまとめる共通目標を見つけ出す必要が彼らにはある。それは国を創るために必要なプロセスであろう。或いは国を再生するための。困難だが、それは必要なことなのだ。よい国を創ることは、簡単なことはないのだ。だが、それはやらねばならないこと。そしてそれはやる価値があることだ。
インターネットは情報の共有を促し、世の中をフラット化し、そして自由を目指す。そんなに単純な話ではないが、しかし、単純化するならばネットは自由の方向に向かう。それが、今、世界を動かしている力なのだ。
そして、その過程として、世界は混乱に向かう。人類はこの試練を乗り越えられるだろうか。叡智が試される。
その叡智は、マレーシアのマラッカにはある。ポルトガル、オランダ、イギリス、日本による占領支配を経て、様々な人種が入り混じり、様々な宗教が入り混じった小さな国際社会。インド系や中国系も含め、様々な人種が入り混じったハイブリッドな社会。異なる価値観が混在し、平和共存している社会。自分と信条の異なる者を尊重する社会。微妙な距離感を保ちながら、相互に普通に交流している社会。我らが目指すべきは、異なるものを受け入れる社会。そんな社会は、しかし、意外に身近なところに存在している。
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