このお題、いいテーマですね。他の皆さんの書かれているエントリーを読んで、なるほど、といろいろ考えさせられました。
このテーマは、様々な社会の矛盾や問題を内包している。年功序列や終身雇用による雇用の過剰、世代間格差、少子高齢化による人口構成のアンバランス、労働の流動性、ゆとり教育はじめ教育問題、競争原理、資本主義の原理、現存する学歴社会、情報の非対称性、マニュアル至上主義、ネットによる情報のコピーと拡散、小手先のテクニック、男女の平等不平等、ランキング至上主義的風潮、価値観の多様性喪失、横並び意識、評価基準の外在化=主体性の希薄化などなど。
で、以下、私小説風、私の就職体験記。時代ははるか昔。
A long time ago, in a galaxy far, far away.....
私の場合は、就職活動、あんまり熱心にやった方ではありません。活動量的にも、質の点でもね。その頃の私は就職したくなかった。会社人にはなりたくなかった。仕事なんてしたくなかった。サラリーマンにはなりたくなかった。だから、熱心にはなれなかったんですよ。
だからといって、親のすねをこれ以上かじるわけにもいかず。いやいやというか、渋々というか、会社説明会とか行きました。そんな訳で、会社に入る前から、イヤになったらやめればいいやと思っていた。永久就職するわけじゃないから、と、自分に言い聞かせていた。
できればね、会社に就職なんてしないで、独立して食っていけたらいいなと思っていましたよ。当時は、小説家とか、文章書いて食っていけたら理想。そう思っていた。でもそのための準備なんて、何にもしてなかったからねぇ。コネもなければ、実績もない。雑誌に投稿したりもなかった。というか、それ以前にそもそも小説なんて書いたこともなかった。
詩は書いたことあったけど、当時ですら詩人として食ってくなんてことは全く考えなかったね。詩集で売れた本なんて聞いたこともなかったんで、それじゃあ食えないと思ってた。
で、小説なら当たれば食えると考えた訳だけど、さすがの能天気な私も、自分で実際に書いたこともない小説で食える訳がないくらいはわかってた。それにムチャクチャな卒論を書いてみて、自分の文章には構成力というもんがないことも薄々自覚してたし。
まだ、インターネットなんてもんは世間に影も形もない時代。卒論だって手書きだった。(遠い目) 当時、もしネットがあれば、ブログで小説書いてたかなぁ?←たらればの話しだ。当時には当時なりのやり方はあったのだ。それなのに何もしていなかったのが動かしがたい事実。
そんな訳で、ふらふら就活していた私だが、いくつか幸運もあって今の会社に入った。
入ってからは、自分なりに努力はした。と、思う。出世欲はなかったが、給料もらってる以上は人並みには仕事しなきゃと思っていた。自分なりにベストを尽くしたかどうか。それが自分の仕事に対する基準だった。上司も含め、人からの評価は気にならなかった。でもお客さんからの評価は気になったな。お客さんからダメ出し食らったら、自分なりの満足なんて何の意味もないと思ったから。
それから長い時間、働いてきた。反省はあるが、後悔はない。かなりの部分でその時その時のベストは尽くしてきたと思う。運もあったし不運もあった。仕事というのは自分の能力や実力が全てではない。周囲のメンバー次第のところもあるし、上司のアタリハズレだってある。お客さんによるアタリハズレもデカイよ実際。他社の動きに振り回されることもある。経済状況の影響も。いろいろひっくるめてタイミングってのが大きくものをいったりもする。つまりは仕事には自分のコントロール外の要素が多~っくさんあるってこと。努力じゃどうにもならないこともあるんだ。いいことも悪いことも。
だから、就職活動中の学生のみなさんへ伝えたいこと。それは、人生の一通過点に過ぎないってこと。就職がうまくいくか、いかないか、それは自分の努力以外の要素も一杯あるってことだ。そして、それはやってみなければわからない。やってみることだ。やってみて初めて自分の身体でわかることだ。
会社は学校とは全く違う。全然違う。営利組織だから。あ、学校もある意味では営利組織かな?でも学校にとって学生はお客さんだからね。お客さんの側から、お客に奉仕する側に、立場が逆転するって訳だ。アルバイトとは近いものがあると思うけど、でも働く時間ははるかに長いから。違いは感じると思う。だから、その変化への覚悟は必要。自立のためだから。自立のための従属という矛盾はある。それは誰もが抱えている。
そして世の中が変わるように、会社だって変わる。社長が変わるかもしれないし、上司が変わるかもしれないし、お客さんが変わるかもしれない。自分だって変わる。変わることを恐れちゃいけない。それに自分に変えられるものだってあるはずだ。会社って、組織だから。人の集合だから。人間同士の関係なんだから、変えようと思えば変えられるものはある。ちょっとずつね。信頼関係ができれば変わる。変えられる。
自分にとって、ベストな会社を選ぼうとかは思わないほうがいい。そんなの自分でわかる訳がないし。そもそもやってみないとわからないし。繰り返すけど、自分でコントロールできない要素が一杯あるし。
で、仕事を続けてると、仕事を通じて自分が成長してきたんだってことがわかる。キャパシティが広がるっていうかね。幅が広がるっていうか。一所懸命やったことってーのは何かしら自分の身につくもんだよ。肥やしになるんだよ確かに。努力は自分を裏切らないよ。
だから、会社選びの選択肢は広くとった方がいい。大企業に限定しちゃダメだよ。このタイミングで社会人になり損ねるのはリスクがでかいと思うよ。どんな仕事でも、しないよりはマシだと思うよ。じゃないと、後が余計大変になると思う。会社に入るということは、確かに可能性を限定することではあるけれど。でもそれは人生の通過点だ。可能性が閉じるわけじゃない。限定したその先にも、さらにさらに可能性は枝分かれしていくものだ。どんな選択をしたとしても、その先にはチャンスはある。どんな選択をしたとしてもその先にはリスクがある。どう転ぶかは、その時その時の選択次第なんだ。
そう、人生は選択の連続で、就活とはその通過点に過ぎないんだ。その選択を生かすも殺すも自分次第なんだよ。
なんだか、えらく「上から目線」な文章で、自分でもこっ恥ずかしいな、コレ。
鍛冶さん、とっても共感できます^^
実はわたしも社会に出たくなかったクチです。
でも、はたらかなきゃぁってことで。
最初の会社はいきあたりばったりで入った小さな企業。ベンチャーでしたがそこでの仕事がおもしろかった。
それがきっかけでその4年後には大手の人気企業へ入りたくて入った、という転職。
あとで聞くと大学のゼミの先生はあまりにも小さな会社なので心配していたそうです。
といってもその10年後、その会社もやめて、独立。その企業から仕事を請け負うようになるんですけど。
いろんなケースがありますね。
投稿情報: 今駒哲子 | 2011/02/15 23:38
コメ、ありがとうございます。共感と言っていただけるとうれしいです。
仕事と一口にいっても、人それぞれだし、その時その時で条件も違うし、とっても幅の広い言葉ですよね。使い方次第でいろんな意味をもつ。
でも、仕事って、自分のコントロールを超えたものに影響される部分がすごくある。これまた大雑把な言葉でひとくくりに言っちゃうと、外部環境とか、運命とか。自分以外の要素。
まあ仕事に限った話しでもないかもだけど。
だけど、外部の要因に振り回されるとしても、その時その時に自分がどれだけ考え、どれだけ行動したか。それによってその後の結果は、絶対、違ってくるはず。
結果というものは、運に左右される部分も確かに大きいけれど、全力で対応した仕事は、その結果に関わらず必ず自分の財産として残る。そう思います。うまくいこうがいくまいが、経験値だけはもれなく獲得できる。
自分なりのベストを尽くしていれば、の限定つきでね。
やっぱり生きていくことにおいて手を抜いちゃいかんのだと思います。誰のためでもない。自分のためにね。
仕事でもスポーツなんかでも、よく、「自分を信じて頑張れ!」なんてこといいますけど、それって、簡単に諦めないで最後の最後まで、ギリギリのとこまで全力を出し切れってことなんだろうなぁ。やっぱ、すぐ手を抜くことを考えるヤツって伸びないですわ。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2011/02/16 16:49