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2011/02/14

コメント

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鍛冶 哲也

文化の大衆化とは、悪く言うとコマーシャリズムであり、世俗化であり、俗悪化を招くこともあり、また粗悪なコピーすなわちエピゴーネンの蔓延につながることもある。よいことばかりではない。

しかし、広く普及する文化とは何らかの普遍性をもったものであり、多くの人々に共感されるということであり、人間の本質、根底につながる何かがあるということでもある。

大衆に広がる文化とは、人と人とを結びつける何らかの力であると思う。

食うこと以外のことに心を向けるという、その余裕が、豊かさというものではないだろうか。
 
そして、生活必需品とは真逆の方向を目指すヲタク文化というものは、正に豊かさの果実というべきものでは?
 
中国のネットヲタクが、日本人をバカにして使う蔑称である「日本鬼子」という言葉(いわゆるアメリカ人がかつて使ったJAPみたいな)を、当の日本の2チャンネラーが「日本鬼子」というキャラにみたてて、そんな名前の萌えキャラ風イラストを多数ネットにアップしたという、そんな得体の知れない遊び心というものの存在が、日本人の懐の深さとかヲタク文化の豊かさを表しているんじゃないだらうか?

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&source=imghp&biw=1155&bih=594&q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%AC%BC%E5%AD%90&gbv=2&aq=f&aqi=&aql=&oq=

http://dic.pixiv.net/a/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%AC%BC%E5%AD%90#c2fe014e68b2066a804f5612b6a6484a

美少女「日本鬼子」は対中外交の切り札?(産経ニュース)http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110117/its1101171936005-n1.htm
  
 
相手をバカにして吐かれた言葉を逆手にとって更におちゃらけて返してみせるその柔軟さ、したたかさ、しなやかさは、いかにも日本的な平和主義の主張として強力な威力を持っているように思う。罵倒する相手をも脱力させるその遊び心はステキだと思うのだ。相手の戦闘意欲を失わせるヨユーと遊び心は、平和を実現するパワーじゃあない???

ユーモアというものは、文化の成熟を示していると。

鍛冶 哲也

上のコメントで「食うこと以外のことに心を向けるという、その余裕が、豊かさというものではないだろうか。」と書いた。
 
「豊かさ」とは何であろうか。今現在、チュニジア、エジプト、リビア等、多くの国が揺れて混乱している。体制の変換を求め、大規模なデモが頻発している。
 
これらの国は、文化的な意味で、豊かではないと言えるのか?実情を知らないので何とも言えないのだが。想像するに、これらの国ではむしろ、カネ儲けが一番大切なことではないんじゃないか?人生に対する価値観が、経済至上主義ではないんじゃないだろうか。人生にはもっと大切なことがある、という価値観がひょっとしたらあるんじゃないだろうか。
 
もしそうだとしたら、本当に豊かなのはどっちだ?
 
 
昨日のテレビで、マレーシアのマラッカを取材していて、そこではヒンドゥー教、イスラム教、中国仏教がそれぞれお互いに距離を置き、お互いに一定の敬意を払いながら共存している姿があった。過去のポルトガルやオランダ、イギリスの植民地支配を受け、その歴史的背景から人種的にも中国やインドを含めて極めて多様な混血社会となっている。ものすごく複雑で多様な人種と、宗教とが、混在し、共存している社会。
 
それは私にとってはとても未来的な、ある意味理想的な社会であるように思えた。様々な違いを許容し、共存するオトナ社会。インターナショナルな国際社会。人種の入り混じった混血社会。ハイブリッド。我々人類は、もっとオトナにならなければいけないんじゃないだろうか。
 
マラッカのあり方に、学ぶべきものは多い。
 

鍛冶 哲也

そのマレーシア マラッカのテレビの中で、彼らがお互いに人種や宗教の違いがあることを認め、それをお互いに尊重しながら、距離感をとりながら、それでも仲良くコミュニケーションをとっていることについて、「思いやり」が大切だというような言葉があった。それは英語では、"common sympathy"と表現されていた。

その英語がなぜか印象に残った。"common sympathy"。人類は平和に共存できるはずだ。そう信じたい。心からそう思う。そう願う。世界平和の実現を。

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