今は人間社会の転換期であるという認識を私は持っている。
大きな変化の時代だと。
第三の波という言葉がある。インターネット革命という言葉も。そしてウェブ進化論という言葉も。
これらの言葉を私は信じている。時代は大きな転換点を迎えていると。過渡期。今はまだその過程なのだと。これからまだまだ大きな変化が待っているのだと。
TCP/IPという、インターネットプロトコルというルーズでオープンな接続方式は人間社会のあり方を変えるのだ。かつてこれまで、これ程までにオープンでフラットに個人と個人をつなげる手段は存在しなかった。
偶然を介して、これ程のたくさんの人々が相互につながるチャンスが存在したことは人類史上ない。インターネットはコミュニケーション革命である。そう思っている。
そして今はまだその変化の始まりでしかない。本格的な変化はこれから訪れるだろう。
その変化は次の世代のものだ。
「今どきの若者はなってない」というセリフは古く古代エジプトの頃から繰り返されてきたという。恐らくそれは事実なのであろうと思う。しかし私は、そのセリフの意味が、その重みが今では全く違ってきていると思うのだ。今は本当に時代が変わりつつある。今、起こりつつある変化は、産業革命の重さに匹敵する。
それは画期的な変化。エポックメイキングな出来事なのだ。
ネットはコミュニケーションのあり方を変える。社会的な動物である人間はコミュニケーションのあり方によって根本から変わるのだ。その変化は言葉の発明、文字の発明、印刷技術の発明に匹敵するであろうと思うのだ。
情報共有のしかたが変わる。共通感覚のあり方が。共感のあり方が。
人間関係のメッシュのあり方が変わる。
これまでは人間関係とはリアルに接触可能な地理的半径に限られてきた。制限があったのだ。距離を越えたコミュニケーション手段は、これまではせいぜいが手紙によるペンパル程度であった。しかしネットが結びつけるその範囲はレベルが違う。桁違いだ。
それは例えるならば、大航海時代に等しい。人間の世界が圧倒的に広がるのだ。
今、起きている変化は人間存在の根幹を変える変化なのだと思っている。それは哲学的なレベルに及ぶ。
情報処理装置としての人間存在の可能性を、ネットは根本から変える可能性を秘めている。
情報処理のやり方が変われば、人間という存在のあり方が変わるのは必然であろう。
人間は言葉でできている。情報処理の体系だ。情報処理のシステムだ。
(その情報処理のシステムを正確にコピーする手段が発明されたなら、ある個人の人格の正確なコピーが創り出せるはずだ。)
そうした情報処理のあり方において、現代社会は大きな断絶を抱えているというのが私の時代認識だ。
簡単に言うとそれはジェネレーションギャップだ。
それは未だかつてない程に大きいと思っている。
ネットについてのBefore/After だ。実体験としてネットを感じているかどうかの違い。或いはネットを生きているかどうかの違い。
ニュータイプとオールドタイプの対立である。
そのギャップが現代社会に大きな歪みを生んでいる。
ニュータイプにもっと力を。
その芽をつぶしてはいけない。この変化を止めてはいけないのだ。
人類に試行錯誤の機会を与えなければならない。この場所に留まるべきではない。もっと先を目指すべき時なのだ。
この変化をもっと先へと進めるべきなのだ。
この流れは止められない。そう思っている。
時代は大変化の過程にある。
変化についてゆけないものは滅びる。
ウェブ進化論という言葉の含意はそれではないか。大局観。
ビッグウェーブがきているのである。
もう一度言う。エポックメイキングな時なのだ。時代を画する時なのだ。
それだからこそ、前のめりに生きるべき時なのだ。
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