[お題]日本人に民主主義は合わないのか ~顧問業の現場から~ by sugibeya より引用
以前より個人的に感じていたことが3.11以降確証を得た気分です。
ハッキリ言って日本は『衆愚政治』だと思います。
これほど簡易にインターネットを利用出来る世界になってもテレビや新聞の情報しか見ない信じない人間が大半を占めている現実。
ほんの少し調べればありえない価格と判断できる料理にリスクも顧みないで豚のように武者振り付く。
居酒屋を覗いてもイギリスの様に知的な会話を楽しんでいる様子もなく、小さい世界の上司や部下の悪口、下らない芸能人のゴシップ話を下品に喋っているだけ。
目先の飴欲しさに投票した民主党が失策すれば自身の勉強不足を棚に上げて鬼の首を取ったように批判する。
そもそも士農工商社会であった日本に民主主義は合っていないのだと思います。
明治23年に施行された大日本帝国憲法に敗戦後嫌な「アメリカ産スパイス」が振りかけられたからさらに悪い。
つまり、封建主義のDNAに民主主義を導入したのでお互いの悪い部分が強調されてしまっている。
私は民主主義派ですが民主主義国家に相応しい国民になるべく日々努力しているつもりです。
忙しくてそんな勉強などしてられないという人間は大抵時間の使い方が下手な言い訳ばかりの自らに甘い人間でしょう。
選挙だって普通選挙などやめて最低限の知識を有する者のみが参加出来る制限選挙にすべきです。
低レベルな有権者が、有名だから、カッコイイからみたいな感覚で投票した票など『ゴミ』でしかありません。
皆さんはどう思いますか?
via sugibeya.bloggers-network283.com
sugibeyaさんより「日本人に民主主義は合わないのか」というお題をいただきましたので、このテーマで。
民主主義とは、議論をベースに意志決定をしていくしくみだと思います。
そして議論とは言葉で闘うこと。
闘うことをよしとしなければ、それは全体主義。差異を闘わせることをしないのであれば、それは「みんな一緒、みんな仲良く」の全体主義。
しかし言葉で闘う議論にしても、闘うことそれ自体が目的であっては結論は得られない。どこまでいっても平行線。
たとえ抽象的あっても、共通に目指すべき理想というものがなければ、自分の立場を主張するだけでは議論は成立しない。
つまり、共有されるビジョンというものは必要かと。
共通のビジョンがないことが、大きな問題なんだろうと思っている。
また、合理的な結論を出すための手段としての(まともな)議論を行うための技術・スキルというものを身につける必要はあるだろうと思います。
しかしながら、初めから闘うことを避けていたんでは、スキルを磨くこともできない。
そこがスタート地点かな、と。
議論のスキルを身につけることと、その前提として対立を避けずに闘うこと。
2010年10月10日に書いた「しあわせって何だっけ?ふたたび ←ひろゆきホリエモン勝間和代対談より」というブログのコメント欄に、次の言葉を書きました。
このコメント欄をあらためて読み返して思ったのですが。
私はこのドラマを見ていませんが、マジスカ学園という暴力的な世界とは、このコメントのテーマであった、空気を読まないという世界ではないでしょうか。
空気を読んで先回りして対立を起こさないようにするという予定調和的な生き方に対する極論的なアンチテーゼではないかと。
それはすなわち、空気なんて読むな!というメッセージかな、と。
そして、ガチで向き合うというのも、踏み込んだコミュニケーションを提示しようとしているのではないかな。肉を切らせて骨を断つというくらい踏み込まないと、お互いの理解は得られない。
「まあまあそう言わんと。」とか、なあなあですませていたのでは、対立は起こさないかもしれないが、ぬるま湯の中では先へ進めない。痛みはないかもしれないが、欲求不満は解決しない。
臭い物にふたをしていては、問題から目をそらしているだけで、問題の先送りでしかない。
馴れ合いの関係からは、未来は描けない。お互いに目をそらしあっている関係では先へ進めないのではないか。
真正面から向き合ってこそ、お互いの違いも見えてくる。お互いの欠点も見えてくる。批評という行為がなければ次のステージには進めない。現状維持しかできない。弁証法的なアップグレードが進まない。
対立を乗り越えてこそ、ひとつ先へ進むことができる。対立を避けることは解決ではない。
「空気を読む」とはまさに、対立を避けることですね。
マジスカ学園とは、対立を通じて、その先へ進むという弁証法的運動(アウフヘーベン:止揚)を描いたものかもしれません。
違ってたら笑って下さい。
マジで自分と向き合おう。ガチで対立しよう。
空気読むな。対立を避けるな。それがメッセージだとすれば、それはKYという時代(「空気読めない」を悪いこととする時代)に対するアンチテーゼに他ならない。
また、議論することについては、その必要性とそれをオープンな場で行うことの意味合いについて、次のようなブログも過去に書いています。
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