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2011/04/23

コメント

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松本です。まずは、読みづらい文章を丁寧にお読み頂いてありがとうございます。そして、まとめていただいた部分を読んで、だいたい言いたかったことが伝わったのだなと感じました。安心しました。

「原発だけではない」ということについては、まさに私が言いたかったのはそういうことです。ただ、「原発だけではなく、あらゆるものがそうだ」とは言いたくない。逆に、原発を含む「悪いシステム」と、夢のような「素晴らしいシステム」があるとも思えません。そういう対比ではなく、表題にあるように、「ダメなシステム」と、多少は「マシなシステム」があって、「次はよりマシなものを選ぼうよ」という提言なんですね。そして、私の視点からは、より分散型で小さなシステムの集積としての大きなシステム(つまり人間社会)が、巨大なシステム1つで解決しようとするよりも「よりマシ」ではないのか、ということなんです。

あと、「自由」が、「何か、もう少し肉体的な、というか身体性につながったというか、動物的な、というか、何か生命の根底につながるような」という感覚に共感します。そういう深いものであるだけに、論理的な説明が跳ね返されるのですね。それでいろいろな寓話やら神話を使わざるを得なくなります。私の書いた豚の寓話も、そういう意味で、ひとつの喩えでしかありません。無数の喩えの中で、ぼんやりと浮かび上がってくるのが人間の根っこの部分じゃないんでしょうか。そういう作業というのが、案外と文学とか、芸術の営みであるのかもしれず…

鍛冶 哲也

松本さん

コメントありがとうございます。とてもうれしいコメントです。

もともとの松本さんの論考が、とても大きなテーマを取り上げているものなので、その理解としてそんなに的はずれでもないとご本人にいっていただけて、とりあえずほっとしています。

私の理解、そしてまとめ方も大雑把なざっくりとしたものだとの自覚はありますので。そしてまた当然ながら私自身の興味関心による偏向(バイアス)もかかっているまとめ方であるものなので。議論がかみあっていたなら、うれしい。

コメントいただいた、「よりマシなものを選ぼうよ」という点、それには同感です。より分散型のシステムの方が望ましい。それはよくわかるし私もそう思う。

それゆえに議論のポイントは原発という現代社会に組み込まれた巨大なシステムを適切にマネジメントできるのか?マネジメントできているのか?というその評価になるのかと思います。

それは大いにあやしい。事後処理における政府の対応、東電の対応については適切に危険に対処しているとは思えない。不安を感じる。

なしで済むならなしにしたい。そこまでは同意見ですね私は。で、「なしにするのか?」という点。やめられるのか?

やめるにも大きな痛みが伴う。その硬直性、その大きな慣性の存在。それは松本さんのご指摘のとおり。社会に組み込まれた原発というシステムはやめることもまた難しい。継続する以上に難しい。

それでもやめるのか?

現実的にやめられるのか?

松本さん、おっしゃるとおりですね。そこから先はロジカルに結論がでない。そのとおりだ。リスクの度合いが許容範囲内か許容できない程大きいのか。誰もが納得できるような数字的判断を示すことができない。できていない。

それって、言い方次第では、計り知れないリスクがあるという言い方もできる。

自らではコントロールできない原子力というパワーを利用することは危険な刃物を小さな子供に持たせるようなもの。

となると判断基準は、果たしてコントロールの範囲内なのかどうなのかということになる。

松本さんの議論の筋は、実にど真ん中ですね。本質ついてます。

そこのところの説明責任を誰もとっていないように感じる。根拠の不明な感情論のように感じられる反対派の意見と同じくらい、推進派の意見もまた信用できない。コントロールできている、と明確に信じられる根拠を示していない。そういうことか。

だからやめようよ、と言われれば。そうだねやめといた方がいいね、って。ああ。説得されちゃった。

自由について。実は私にとってこの「自由」という概念はとても大事なテーマなんです。大袈裟に言うとアイデンティティに関わる問題。豚と猪の寓意でいえば、私は猪でありたいと強く憧れるのです。

どうしたらそれが可能なのか。どうしたら猪になれるのか。その憧れは私の中に強くある。

自分自身を強くすること。自分の芯を太くすること。今、いうとすると、そんなことがアプローチなのかな?


とにかく、松本さんの問題提起は、ものすごく大きなテーマをつきつけるものだと、それは感じました。

鍛冶 哲也

原発の安全対策について警告した1995年の「核施設と非常事態 -地震対策の検証を中心に-」という論文について。
 
 
http://sanken.bloggers-network283.com/2011/05/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E7%94%BB%E9%9D%A2_%E4%B8%80%E6%99%82%E7%9A%84%E3%81%AB%E7%B8%A6%E9%95%B7.html

上記、隅本氏のブログで言及されている、今から16年前に阪神大震災をきっかけに原発の地震対策を見直すべきだと主張した故人高木仁三郎氏の論文を読みました。

原発の設計時における想定がマグニチュード6.5であること。阪神大震災のマグニチュードが7.2とそれを上回っていたこと。また、それぞれの原発の耐震設計時に想定されている地震の加速度を阪神のそれが上回っていたことから、原発の地震対策を見直すべきだと指摘しています。数字で具体的に明らかにしている。

1995年の「日本物理学会誌」Vol.50に掲載されている。

福島原発事故後の今、読むとそれが驚くほど適確な指摘であったことがわかる。

論文のタイトルは「核施設と非常事態 -地震対策の検証を中心に-」高木仁三郎。

検索すると http://ci.nii.ac.jp のサイトで閲覧可能です。

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