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2011/06/19

コメント

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鍛冶 哲也

この一年を振り返った時、最も大きな出来事はなんといっても2011年3月11日の東北地方太平洋沖大地震だ。

この日は、恐らく後々歴史に残る時代の転換点となるだろう。この日から日本は変わった。変わり始めた。

政治も経済も価値観も何もかも。いや、現段階では総てが変わった訳ではない。今は、まだ変化のはじまりの段階であると思う。

この国はこれから大きく変わってゆくはずだ。

政治のあり方が変わるであろうと思う。

これまでのやり方は通用しなくなる。国民の政治不信はかつてない程、強くなっている。

誰も政治家を信じていない。

今のままでは政治は崩壊する。混乱が、カオスが訪れるだろうと思う。

このままではダメだと皆が思った時、それはシステムの変化につながっていくのだろう。

復興にともなう財源問題も国としての財政赤字の解決を困難にする。増税は消費に影響し景気を左右する。企業の国際競争力にも関わる。

それに加えて電力不足。燃料確保と価格上昇。節電すなわち電力使用量抑制が、生産量に対する制限として作用し、加えてコスト上昇要因ともなる。経済への影響もとても大きいため、この状況に適応するための変化を促す。

原子力発電の事故は未だ収拾しておらず、国際社会にも大きな影響を与えている。

これらの複合した状況は変化への引きがねとなる。

2011年は、未来の歴史の教科書に必ず記されることだろう。

たまご915

鍛冶さん、お世話になります。

>ネットはオープンな議論を行うことが出来る場なのだから、そこに参加するある種の責任のようなものがある。いや、社会的責任だったらネット以前からもあったはずだけれど、ネットはそれを見える化したような気がする。ネットは参加可能な開かれた社会であるから。それは社会参加の機会であるから。

この文章に、強く共感しました。
1990年代のネットは、参加人数は少なかったのですが、(パソコン通信やfj.*などネットニュースを中心に)実名と所属を明らかにすることが不文律としてあり、参加者の責任が意識されていたと思います。
2000年代は、2ちゃんねるなどの匿名掲示板が主流になったこともあって、匿名で自由にものをいう場としてネットが認識されていました。また、セキュリティ的な観点からも、リアルとネットの人格を完全に分け、リアルの人格をネットに出さないことが推奨されていました。
2010年代は、このどちらとも異なるのでしょう。多くの人が参加するネット社会で、いかに参加者が社会的責任を感じるか。2000年代は隔離されていたネット社会とリアル社会が、2010年代には再び融合し、ネットはリアル社会の一部、言い換えればリアル社会の便利な道具になります。それが参加者に変化を引き起こし、ネットがリアル社会を動かすとともにネット参加者が自分の発言の重さを感じてくれればと思います。

コメントのほうにも。

>誰も政治家を信じていない。
>今のままでは政治は崩壊する。混乱が、カオスが訪れるだろうと思う。

不思議なことに、こんな状況でも政治家を信じている人がいるんですよね。
自民党政権なら日本は売国奴の手に落ちないとか、民自大連立で日本の危機を乗り切ろうとか。
政治家に頼らず、自分の手でできることはやるべきだと思うのですが、そう考えていない人が、あまりにも多すぎます。

被災地への対応ができぬままに時間を空費し、政局に走っている永田町の政治家たちを見ると、すでに混乱は始まっているように感じます。
外圧でもないとこの危機は乗り切れず、日本という国は壊れるだろうと考えていますが、ネットで声の大きな保守の人たちは外国の干渉が大嫌いですし、まあ、壊れるのでしょう。
国が壊れても自分が生きられないわけではないし、自分の周りくらいは、まあ何とかなるんじゃないかなと思っていますが。

鍛冶 哲也

たまご915さん

コメントありがとうございます。

「ネット社会とリアル社会が融合する」
「ネットはリアル社会の一部となる」

ああ。この言葉が印象的でした。まさにそういうことが進行中なのだと感じます。いまだ途中なのでしょうが、確かにその方向に向かって動いているのだと。

その動きについての確信が、わたしのネットに対する楽観の根拠になっているような気がします。

かつて梅田望夫が「ウエブ進化論」でネットのあちら側とこちら側という表現をしていましたが、その両者がお互いに影響しあっている。これまで以上に強く、関係していく。つながりあっている。あちら側とこちら側がそれぞれ独立してあるのではなく、相互に関係していく。つながりあっている。

それはこれからの社会の進む方向についてのビジョンなのかもしれません。

これは、大きなテーマですね。

この言葉はなにか、象徴的です。このコメントをいただいたことにあらためて感謝申し上げます。


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