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2010/12/31

コメント

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mugendai

僕も、日本のロボットと海外のロボットの考え方の違いを考えたことがあります。それは、正義の見方http://mugendai.bloggers-network283.com/2007/08/%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%AE%E8%A6%8B%E6%96%B9%E7%95%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E6%96%87%E7%8C%AE%E9%8C%B2.htmlで、アメリカンヒーローがいつも宇宙人なのは、神の代理人としてとらえているのではないかということです。このキリスト教文化から、人間は神に作られたものとされているので、人間がロボットを作ることは神に対する冒涜だというカルト教団がいるくらいです。そこでそのエントリーでは、「アメリカ人は「人間」と「神」との関係が絶対的なように、「ロボット」はあくまで「人間」の下僕であって決してヒーローになることはないのだ。」と書きました。

井上晴樹という人が、鉄腕アトム以前のロボットの歴史を詳しく調べて書いた「日本ロボット創世記」というものがあります。その中で、

1924年(大正13)年6月2日付けの英国紙「イヴニング・スタンダード」への寄稿である。それは、「ロボットは、私が電車に乗っている間に生まれた」と始まり、郊外からプラハ市内へゆく電車のなかは満員で乗り心地が悪く、乗車口のところまで人があふれ、その様子は「羊というより、機械だった」と報告している。そのことは強く心をとらえ、チャペックはその状態を見ながら、「人間は個性をもった存在ではなく、機械ではないか」と思いついた。車中でずっと、「働くことはできても、考えることはできない人間に、何という名をつけたらよいか」と頭をひねった。「この概念は」とチャペックは書く、「ロボットというチェコ語の言葉に表現されているのである」

電車の中の出勤中の労働者からロボットを思いついたといいます。この言葉は、「インターネットと人類の縮退http://mugendai.bloggers-network283.com/2008/09/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E7%B8%AE%E9%80%80.html」で引用したのですが、これも人間から作られる機械というものを卑下した感覚があると思います。

また、ホンダのアシモが「鉄腕アトム」を目指したのは有名で西日本新聞に「アトムへの夢」というタイトルで記事http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0205/robocup/tokusyu/asimo.htmlがありました。このことは、「手塚治虫は考える人だったhttp://mugendai.bloggers-network283.com/2009/02/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB%E3%81%AF%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F.html」で引用させていただきました。

mugendai

どうも、リンクとあとの文章がつながってしまったようです。改めて書きなおしました。

僕も、日本のロボットと海外のロボットの考え方の違いを考えたことがあります。それは、正義の見方http://mugendai.bloggers-network283.com/2007/08/%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%AE%E8%A6%8B%E6%96%B9%E7%95%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E6%96%87%E7%8C%AE%E9%8C%B2.html
で、アメリカンヒーローがいつも宇宙人なのは、神の代理人としてとらえているのではないかということです。このキリスト教文化から、人間は神に作られたものとされているので、人間がロボットを作ることは神に対する冒涜だというカルト教団がいるくらいです。そこでそのエントリーでは、「アメリカ人は「人間」と「神」との関係が絶対的なように、「ロボット」はあくまで「人間」の下僕であって決してヒーローになることはないのだ。」と書きました。

井上晴樹という人が、鉄腕アトム以前のロボットの歴史を詳しく調べて書いた「日本ロボット創世記」というものがあります。その中で、

1924年(大正13)年6月2日付けの英国紙「イヴニング・スタンダード」への寄稿である。それは、「ロボットは、私が電車に乗っている間に生まれた」と始まり、郊外からプラハ市内へゆく電車のなかは満員で乗り心地が悪く、乗車口のところまで人があふれ、その様子は「羊というより、機械だった」と報告している。そのことは強く心をとらえ、チャペックはその状態を見ながら、「人間は個性をもった存在ではなく、機械ではないか」と思いついた。車中でずっと、「働くことはできても、考えることはできない人間に、何という名をつけたらよいか」と頭をひねった。「この概念は」とチャペックは書く、「ロボットというチェコ語の言葉に表現されているのである」

電車の中の出勤中の労働者からロボットを思いついたといいます。この言葉は、「インターネットと人類の縮退http://mugendai.bloggers-network283.com/2008/09/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E7%B8%AE%E9%80%80.html」
で引用したのですが、これも人間から作られる機械というものを卑下した感覚があると思います。

また、ホンダのアシモが「鉄腕アトム」を目指したのは有名で西日本新聞に「アトムへの夢」というタイトルで記事http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0205/robocup/tokusyu/asimo.html
がありました。このことは、「手塚治虫は考える人だったhttp://mugendai.bloggers-network283.com/2009/02/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB%E3%81%AF%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F.html」
で引用させていただきました。

ルート134

あけおめ。

>古くは「メトロポリス」という映画の中でC3POのような女性ロボットが登場する。

あれはそのあと、マリアという美人(その当時から! というか「未来のイヴ」(ヴィリエ・ド・リラダン)もそうか)に化けるのです。
そして民衆を扇動して...。

そのあとの話は、
『新・自虐の詩 ロボット小雪 』(業田良家)にあるとおりです。

というのはウソ。
//

鍛冶 哲也

mugendaiさん、ルート134さん、コメントありがとうございます。コメントにお返事する前に、ちょっと脱線をお許し下さい。YouTubeを見ていたら、初音ミクに誘惑されてしまって・・・

CEATEC JAPAN2009(初音ミク:みくみくにしてあげる)http://www.youtube.com/watch?v=LZZvt4xAoXg

【小倉唯】「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」http://www.youtube.com/watch?v=GiWV390dzcQ&NR=1

【小倉唯】「みくみくにしてあげる 【してやんよ】」を隣で比較http://www.youtube.com/watch?v=GSFUF6p034M&NR=1

これはもう既に、踊ってる人間がすごいのか、人間のように踊るCGがすごいのか、私にはもうわからないよー

鍛冶 哲也

う~む。新年早々さらにワルのりしちゃうけど、こんなニッポンが私は好きです。ある意味すごいと思う・・・

【麻生太郎】あっそあそにしてあげる♪http://www.youtube.com/watch?v=KKnQ39Byjj4

【PV】鳩山由紀夫の消失 DEAD END 【MotionGraphics】http://www.youtube.com/watch?v=-4E8oeM_-8U


鍛冶 哲也

そしてこの脱線の後に急速に話題をメインテーマに戻しますが、機械としての特徴を活かしたロボットを創るのであれば、人よりも力が強かったり、スピードが速かったり、正確に同じ動きを繰り返すことができたり、人間には危険過ぎることだったり、そういう部分を活かした使い方を考えるのが普通だろうと思う。

上の消失の歌のあの速さは人間には不可能なスピードだと思う。機械だからこそ実現できること。それは、機械の正しい使い方ではないだろうか。

それなのに、あえて機械であるロボットに人間らしい振る舞い、人間らしさを求めるその思いとは。やっぱりちょっと偏向がかかっているように思える。

だが、それでも私は、その偏向をよしとしたい。無意味なものや無駄なもの、ヘンなものを愛することもまた、ニンゲンのニンゲンらしさだと思うから・・・

鍛冶 哲也

ロボットの使用目的として、軍事利用ははずせない。人間の代わりに戦わせる。そして、人間の力を強化するパワードスーツというアイデアも古くからあるもの。

機動戦士ガンダムもある意味パワードスーツだが、そのアイデアはロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」というSF小説に描かれている。

この動画はそんなパワードスーツを現実化したものといえるだろう。それはやっぱりメイド・イン・アメリカ。
~更なる進化を遂げた!レイセオンの外骨格ロボットスーツ、セカンドジェネレーション「XOS 2」~
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51773494.html

鍛冶 哲也

ヒト型のロボットに対する憧れを示すのか?女性型ロボットのイラスト。http://funguerilla.com/the-most-beautiful-robots-anyone-would-like-to-date/

鍛冶 哲也

本文中にある人間とロボットとの中間的などっちつかずな存在としてのサイボーグについては、昔のアメリカ・テレビドラマに「600万ドルの男」、「バイオニック・ジェミー」という作品が人気を博しましたね。

日本では、やはりかなり昔になりますが、平井和正のSF小説で「サイボーグ・ブルース」という作品が人間のようで人間ではない存在としてのサイボーグを暗く、深く描き出していました。

そういう意味では「サイボーグ009」、「仮面ライダー」といった石ノ森章太郎のマンガもサイボーグものということになるか。仮面ライダーは改造人間ではあるけれどサイボーグと言うよりはバイオテクノロジー的に強化された、みたいなイメージだけど。


それからもうひとつ、本文中で、攻殻機動隊の人工知能を「機械である」と表記しましたが、どうもこれもイメージとしては機械というよりは「プログラム」といった方が適切な感じですね。それもハードウエアの間を行ったり来たりする様な。ウィリアム・ギブスンが「カウント・ゼロ」で描いた様な放浪するプログラムというか。マトリックス・リローディドにでてくるExile、逃亡するプログラムみたいというか。ま、イメージとしては実体はないけれど、融合し、増殖するアメーバみたいなプログラムという感じがするけど。

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