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2011/01/03

コメント

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リブログいただき恐縮です。

自分の生活を守るために自分の共同体を大切にし、それが他の共同体との物理的な争いにならない、みたいなものを志向したいです。

「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老が語るある人の告白よく思い出しています。
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自分は人類を愛しているけど、われながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆくからだ。空想の中ではよく人類への奉仕という情熱的な計画までたてるようになり、もし突然そういうことが要求されるなら、おそらく本当に人々のために十字架にかけられるにちがいないのだけれど、それにもかかわらず、相手がだれであれ一つ部屋に二日と暮すことができないし、それは経験でもよくわかっている。だれかが近くにきただけで、その人の個性がわたしの自尊心を圧迫し、わたしの自由を束縛してしまうのだ。
引用元 http://www.geocities.co.jp/AnimalPark/2935/sonota/karamazof.html
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鍛冶 哲也

コメントありがとうございます。いただいたコメントを読んで、さらに脱線していきますが、法秩序の崩壊したルールなき世界、神なき世界を描いた「北斗の拳」というマンガは、その戦国時代を恐怖と力で抑え込んでいくラオウの国家統一が描かれている訳ですが、それを力ではなく、理念や愛によって国をまとめあげていくような、ルールを再構築するようなストーリーであったら、同じ舞台設定でも全く違ったマンガになったでしょうね。

戦国時代のジョン・レノン、みたいな
 

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