最近の日本は外交問題に揺れています。尖閣諸島の問題。北方領土問題。少し前になるが普天間の問題。
精神分析学者の岸田秀は、国家の振る舞いは人の個人の精神分析と同じ方法で理解可能だといいます。太平洋戦争に負けた日本は、それがトラウマとなり自分の主張ができない臆病になっている。
先日、このブログでsnafkin7さんとしあわせについて議論した時に、今の日本を覆う「KY=空気読めない」というムードについての話題になりました。他人の目線を気にしすぎている。対立を避け、周りにあわせることに一所懸命で、自分が何をしたいのか、どうしたいのか、自分自身を見失っている。
もっともっと、自分がどう感じているのか。自分がどうしたいと思っているのか。それを深く突き詰めて考えなくてはいけない。他人に合わせているだけでは自分がわからなくなるばかり。自分のことがわからずに他人との関係が築けるはずもなく、そして自分のことがわからずに自分がしあわせになることはできない。
空気読みすぎ。それは個人だけでなく、今のこの日本という国そのものがそういう状態ではないのか。相手の顔色をうかがうばかりで、自分の奥底が何をどう考えているかについて無頓着。
今、この国は一般人から国のトップまでもが「空気読みすぎ」ではないか。
空気なんて読まないやつらの中にあっては、「空気ばっかり読んでる」やつは、かっこうの餌食、かっこうのカモ。
この国はいったいどれだけ「空気読めない」におかされているのか。
一体、どれだけ対立することを恐れているのだろう?
今、世界のあちこちが揺れていると感じる。アメリカも中国もインドもブラジルも韓国も北朝鮮もミャンマーもどこもかしこも揺れている。ヨーロッパのニュースは最近少ないような気がするが、ここも決して安定している訳ではあるまい。
こんな時に、かの国の国会では秘密のビデオの流出経路について議論している。もう出ちゃったもんについて、犯人探しなんかしている。責任問題を追及している。
貿易について、鎖国化の議論をしている。
閉鎖系ではやっていけない。開放系を目指すべきだ。つながりを目指さなければ。関係を閉ざしてはいけない。
関税で国内農業を守っている場合ではない。いつまで守り続けるつもりか。いつまでも守り続けられるつもりなのか。遅かれ早かれ変わらなければ生き残れない時がくるんじゃないのか。いつ、変わるつもりか。いつから変えるつもりか。永遠に変わらないつもりなのか。
どこをどのように変えなければいけないのか、真剣に本気に考えるべきじゃないのか。いつ考えるつもりなのか。それは今じゃぁないのか。
本気でこの国を閉じる気なのか。現状維持を守るつもりか。
その判断を、一体、誰が決めるのか。
閉じてはいけないと私は思う。つながらなければ。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/11/10 00:51