2008年4月の記事なんでちょっと古いですが、テククランチでMichael Arringtonという人がSNSの未来について書いています。
Michael Arrington TechCrunch 2008/4/10 「私は最近SNSの未来の姿を見てしまった―まだ名前はいえないが」
SNSはモバイルになって、地下鉄の駅でも空港でもバーの中でも、自分の周りにいる人々の名前やプロフィール、仕事中かプライベートか、仕事探し中か恋人募集中か、そんないろんな情報が得られるようになるという。
それは情報公開によって、リアルな人間関係におけるマッチングをSNSが支援するということ。究極の出会い系サービスだ。Facebookのような(或いはmixiのような)SNSはこの先そんな方向に行くのではないかという意見。
なるほどねえ。インターネットの本質は人と情報をつなぐことにあると私は考えています。そしてそれは人と人とをつなぐことも含んでいる。逆かもしれない。人と人とをつなぐのが本質。それがリアルタイムなのか、インタラクティブなのか、或いは特定の人なのか不特定な人なのか、それともある人が遠い昔に書いた言葉なのか。それだけの違い。本質はつなぐこと。
SNSに限らず、メールもブログもTwitterも、そういう本質なところでは一緒だと思っている。つなぐとはマッチングさせること。出会いの場を提供すること。そういう意味でネットの本質は出会い系だと思う。人との出会いや情報との出会い。
その意味ではArrington氏の語るサービスは出会いをサポートするという意味では間違ってはいないと思うのですが。でも自分はそこまで裸になりたいとは思わない。駅や街中を歩いているときに、自分の名前や会社名、プロフィールをさらしながら歩きたいとは思わないな。基本的にはオープンなのがいいと思っているのだけれど。だからといって24時間いつでもどこでも自分をさらけだしていたい訳ではない。
私はネットでのオープンさとリアルでの匿名性を分けて考えているのかもしれない。別に名札を付けたままで街を歩いていたからといって、実質的なデメリットなんて本当はそんなにないのかもしれない。しかし、よっぽどのメリットがなかったらわざわざ進んでそんなことをしたいとも思わないな。
失礼いたします。
SNSと違って申し訳ないんですが、先日、新しい検索エンジンはないかなとサーチしてましたら、アメリカに
「個人情報検索エンジン」
http://www.zabasearch.com/
なんていうのがありました。これを見て、アメリカでFacebook流行る理由がちょっとだけわかったような気がします。(本当はわかってない・笑)
個人情報にいちばんうるさそうなアメリカが実は、なんかアケスケなんですよね。
電話帳(イエローページ)にも載ってない電話番号が出てくるっみたいなふれこみですが、ええっと思いました。
投稿情報: snafkin7 | 2010/11/22 14:23
私の場合は、ネットにしろリアルにしろお互いが匿名だったり、お互いが「ネイキッド」だったりすれば違和感ないですね。関係が非対称だと気持ち悪いです。
投稿情報: かねたこうへい | 2010/11/22 22:23
snafkin7さん
SNSといったら、日本だとmixiとかモバゲーとかをイメージしますが、これらは匿名が主流です。若い人たちは本名やその一部(と思われる名)を名乗ってる人もいますが。Facebookなんかは画像も自分の写真を出し、本名出してるイメージが。(私はFacebookやってないのでイメージですが)
かねたこうへいさん
確かに、関係が非対称だと気持ちが悪い。そのとおりですね。以前、勝間和代さんのブログが炎上した時、勝間さんはブログのコメント欄を閉じてしまいました。顔もさらして、いろいろオープンにして書いている勝間さんに対して、匿名でひどい言葉が大量に書き込まれるという状況が、勝間さんにとってとても不快だったのかもしれない。
お互いがネイキッドだったら違和感がない。ただ、1対1の関係ではなく、多対多の関係の中で、お互いがどこまでネイキッドになるのか、そこら辺はバランスの問題な気がします。デジタルではなく、アナログな感じ。ゼロかイチかではなく、その中間のグレーゾーンで心地よいバランスを探るような。
ただ、時代の流れはオープン化の方向にあり、その流れを止めることはできないだろうと私は感じています。
問題は、どこまで?どこまでネイキッドになりたいか?
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/11/23 09:30
本文の中で、私はネットの本質は出会い系であると決め付けていますが、日本のSNSの現状は違うかもしれない。mixiやモバゲーやグリーは。
mixiは、リアルな友人関係の中でネットで言葉のやりとりをしている面がある。出会いというよりはコミュニケーションの場。リアルな場でつくられた関係をネットでも続けている。高密度化している。サークル掲示板状態。
モバゲーやグリーは、やはりゲームが中心。人間関係はゲームの要素、スパイス。中心ではない。モバゲーは、出会い系的な要素を積極的に排除している。
出会いを求めるアメリカの流れとは違いがあるのかもしれません。出会いを求めるからこそ、自分の情報を出す。それも見知らぬ誰かに自分をアピールするという意識を持ちつつ。それは友人同士の間で自分をさらけだすのとは違う。
mixiはリアルな人間関係がベースとなっているので逆に本名は必要がない。もともとお互い知っているから。ネットに出会いを求めてはいない。
出会いを求める人は、自分がどんな人間なのかを明らかにしなければいけない。
ネットはツール。何を求めるかによりその姿は異なる。出会いを求めるか、仲間内での井戸端会議を求めるか。
例えばTwitterなんかは、かなり偶然的な要素があって、オープンな場であるように私は思う。出会い系に近いような。でも日本ではTwitterも井戸端会議に近い使い方をしている人が多いような気がする。感覚論ですが。仲間内での会話的な使い方。
求めるものが、外向きか内向きかの違いがそこにはあるように思う。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/11/23 10:19