2010年7月13日 ブロガーズネットワーク翼 電子三権の周辺を考える
議員立法におけるパブリックコメントの現状での不利 隅本証平
via sanken.bloggers-network283.com
上記のブログを読んで少し思うところがあったので、政治とネットの関係について考えてみます。
インターネットによって、カネもチカラもない一般の人が自分の考えを自由に公表することができるようになりました。掲示板やブログ、ミクシイ、モバゲー、グリー等のSNS、ミニブログと呼ばれるツイッター等の手段により、個人の情報発信が拡大しています。
この個人による情報発信の爆発的な拡大は、企業のマーケティングのあり方に影響を与え、大きな変革をせまっていると私は考えています。そしてまた、テレビ、新聞、雑誌、ラジオといったマスメディアのあり方に対しても同様に大きな変化を与えつつある。今の時代は革命的な大きな変化の過渡期にあるのだと私は思う。変化はまだ始まったばかりであると。
そしてこの個人の情報発信による変化が、政治というものに与える影響について考えるきっかけを、冒頭にあげた隅本氏のブログを読んでいただきました。これまであまり政治というものに対する関心はなかったのですが、今回はちょっと、ネットと政治について考えてみます。
私はネットが引き起こす変化について、基本的に楽観しています。薬や自殺、犯罪に関するサイトなど、ネットにダークサイドがあることも事実ですが、それらはネットが悪い訳ではない。ネットは手段に過ぎない。それを悪用する人間がいて、それを取り締まる手段が必要であるということ。
ネットにおいて多様な意見がオープンになることそれ自体はいい方向だと思っています。
ネットのこの過激なまでのオープン性は、長期的にみて政治のバランスを改善する方向にもっていくことになるだろう。そう、楽観しています。そのスパンは、恐らく5年、10年というスパンかな。簡単に変わるとは思っていない。簡単に解決するとも思っていない。しかし、長期的にみれば、このネットがもたらす変化のチカラはとてつもなく大きく、いやがおうもなく変化をせまるはずだ、と。
政治というものは本質的には財の再分配の問題であり、バランスをどこでとるかという問題だと思っている。例えば、社会全体の問題として、何らかのセーフティネットは社会の安定のために必要であろうが、そのボリュームをどの程度にするのか、どこで線を引くのか、その財源をどこからもってくるのか、そういうバランスを決めるのが政治の役割であろうと考えます。例えば新しい道路をつくる場合に、その経済活性化効果が建設コストにみあうのかどうか。短期的に建設業者に仕事ができるのは事実として、それが地元に落ちるのか。つぎ込んだコスト以上のメリットをもたらすのかどうか。
更にもっと大きな視点でいうと、失業者への支援も大事、景気対策も大事、医療や介護も大事、教育の充実も大事、少子化対策も大事、国際競争力強化のために技術の研究開発も大事。様々な分野の様々な事業にどうカネを配分するか。様々なトレードオフをどう解決していくのか。それが政治の果たすべき役割。
その決定を下す上では、より多くの人の意見を取り入れるべきである。税金を投入する以上は。投入されるカネが国家予算であるならば、その問題はいち地方に閉じた問題ではなく、国民全体の問題である。部分最適ではなく全体最適が実現されなければならない。理想的には。
現実はそうではない。現実は理想とはほど遠い。現実の政治は全体最適からはほど遠く、誰かが得をし、それより多くの誰かが少しずつ損をしている。それが実態だと思う。財の再分配は、うまく機能していないと感じている。
それは仕方がないことだとも思う。人類の歴史を振り返っても、政治の理想が実現したことはない。私は政治に対する根本的な不信感をもっている。ダメダメじゃん。そう思っている。
しかし民間企業では今、「見える化」ということがしきりに言われている。投資に対するリターンがどれくらいなのか、費用対効果が数字で厳しく問われている。それはデータがとりやすくなっているから。仕入れや販売の取引がシステム化されデータ化が進み、そのデータの集計加工の処理速度が速くなっているから。そしてシステムの利用目的が、単なる取引の処理から、それを分析し過去との比較や商品別の比較、地域別の比較など、様々な視点から状況を把握することに利用目的が拡大している。それによって事業を続ける上で、数字で判断する領域が増えている。
費用対効果を問うこの流れは、遅かれ早かれいずれ政治にも及んでいくだろう。そしてそれをジャッジする上で、長期的にはたくさんの人の声が反映されていくようになっていくだろうというのが私の考えだ。
具体的な方法論をもっている訳ではない。長期的な方向性として、そういう方向に向かっていくであろうという私の楽観である。
そんな訳で、ネットによって様々な意見がオープンになることは、政治に対して長期的にみてポジティブな影響を与えるであろうことについては楽観している私ではあるが、そのために解決しなければならない問題も山のようにある。
まず簡単な方からいくと、電子選挙は先に実現するだろうと思う。投票というものは電子化によって、コストも時間も削減できる分野だと思う。ただ、その前提として、投票権をどのように付与するかの問題はある。それは個人認証の問題だ。それはそれで大きな問題だが、投票の電子化自体は技術的には簡単なことだと思う。
そしてパブリックコメントの問題だ。隅本氏の指摘の通り、今のパブコメの仕組みには問題が多い。そもそもの問題として、今のパブコメは広く国民の意見を収集する場ではなく、単に形式的に意見を聞きましたという、行政のためのアリバイづくりの仕組みでしかない。それは本来の求められている機能とは全くかけ離れている。今現在の仕組みが、問題だらけで、メリットよりむしろデメリットが多いということについては、隅本氏の指摘の通りだと思う。
しかし、現状に問題はあるにしても、国民の意見を政治に反映するための手段としてパブコメは継続するべきだろうと私は思います。ただ、今のやり方がいい訳ではない。というか、今のやり方は全然ダメなんだろう。
でもたとえ形式だけでも、国民の声を聴く仕組みがあれば、そしてそれがオープンな場であるならば、それはよい方向に向かう小さなチカラであろうと思う。
たくさんの、大量の意見を集めるためには、ネットというのは安いコストでそれを実現しうる手段だと思う。しかし、大量の意見を集めれば集めるほど、それをまとめることは難しくなる。個々のバラバラの意見を、要するにこうだ!という風にまとめるのは、とても難しいことなのだ。集めれば集めるほど拡散する。ひとりひとりの立場が異なるから。
意見の集約は、データ処理とはレイヤの異なる問題なのだ。マーケティングリサーチにおいても、イエスかノーかを問う問題は、単純な集計ですむので簡単だが、自由意見をまとめるのは難しい。バラバラのものをまとめてひとつの結論に集約することは、とっても難しいことだと思う。
しかし、たとえそれが難しいことであっても、議論を重ねることはよいことだと思う。議論すること自体はよいことだ。そしてそれがオープンな場で行われることが大事。多様な意見が、簡単にはまとまっていくことはないだろうが、オープンな場でそれぞれの意見がオープンにされていくことは、よい方向だと思うのだ。それは時間をかけて解決していく問題だと思う。今はまだ過渡期だから。
大量の意見を集約する技術が今はまだないから。でも情報がたくさんたくさん集まるようになれば、それを処理する技術が登場するであろうと私は思う。大量の情報がオープンになることは、大局的によい方向だと思うのです。
総論賛成、各論反対というものは昔からある問題だ。そしてそれは未だ解決されていない問題。それは簡単には解決できない問題なのだが、でもそれがオープンな場で議論されることはよい方向に向かうことだと思うのだ。
その点については私は楽観している。現状については全然ダメだと思っているので、期待も何もしていないのだが、長期的にはきっとよい方向に向かうだろうという意味で、楽観的なのだ。それはネットに対する楽観。ネットはきっと、バランスをよい方向に導くであろうという楽観だ。根拠はない。
ネットはいずれよい方向にもっていくであろうという根拠なき信頼。そして、大きな変化はまだまだもっともっと世の中を変えていくだろうという予感。
今の政治のシステムは、ダメダメだけど、これからはそのダメなところは変えられていくはず。そのチカラはきっとよい方向に向かっていくはずだと私は思っている。オープンである限り。だからその流れを止めてはいけない。
すぐには変わらないけれど、いずれは変わっていく。いつか、世の中は変わっていく。その点については、私は楽観しているのです。ただし、そのためにはオープンであることが大事。オープンであるなら、それはよいこと。
オープンでいこう。もっとオープンで。
将来を俯瞰する視点等、私にはない視点を拝読しました。
難しいことを実験的に行おうとしている行政側の試みは、もっと積極的に評価するのもありかもしれないですね。現状の法制制約下で行政があれだけがんばれる、という発想が、現状の自分には不足していたような気がしました。
そして、楽観の大切さも教えていただきました。
おかげで、情緒が邪魔して政治周辺をぐるぐる回っていた自分の現状から抜け出せそうです。
リグログありがとうございました。
投稿情報: Account Deleted | 2010/07/20 08:45
隅本様
いえいえ。こちらこそ、柄にもなく政治についてあれこれ考えるきっかけを隅本さんのブログからいただきました。それは思わずコメントせずにはいらないような強い刺激をいただいたので、反応せずにはいられなかったような感じです。
そしてそれは普段あまり考えたことのない領域だったので、書かせていただいたコメントも、今回の私の投稿も、いずれもまとまりのないあまり論理的なすじの通っていない、いろんな考えが思いつきでふきだしているような状態になっています。
しかしそれでも、隅本さんが政治の立場からネットという手段について考えられているのに対して、私はどこまでもネットというもののポテンシャルが第一にあって、その展開する広がりのひとつの領域としての政治的側面に興味が刺激されたという意味で、スタンスがかなり違うのだと感じました。
お互いに異なる出発点から、同じテーマについて強い関心をもって意見を交換したという意味で、このディスカッションは面白いもので私にとってはありました。
あくまでも主観的感想ではありますが、このブロガーズネットワーク翼という場のユニークな存在の意義が示されたように思っています。というか、理屈はとにかく、面白いです。これの前の学校クラウドの話題も含めて、いろいろと刺激をいただいていて、面白いし楽しい。
まだ全然まとまりがつかないのですが、私の関心としてのネットサイドから見た政治への影響や関与については、この投稿以上にまだまだ連想があって、もっと書きたいことも湧き出しているので、続編も書いてみたいと今は思っています。
それはさておき、翼も面白くなってきてるなあーと感じていますね。これからも絡ませて下さい。ぜひお願いいたします。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/07/23 01:09