いやなんか。タイトルつけたらそのまんまなんですが。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=tsuda&word=%E8%A7%92%E5%B7%9D↑このサイトの2010年6月23日のところ。
フォントはこの津田さんのツイートを全部コピペしようかと思ったんですが。でも著作権的にどうかな?ってのがちょいと疑問だったので、リンクだけにしとくことにしました。
しかし、なんにしても、ネットってもんは面白いな。このフラット感は過激ですらある。或いは感激でもある。
情報を届ける手段は、実に多様化し、いつでもどこでもユビキタス化もかなりに進んでいる。こんな世の中にあって、情報を編集するエディターの役割は、今後ますます重要になるという角川会長の意見には賛成。
情報量は爆発的に増えている。その中から、重要な情報を選んで組み合わせてプレゼンしてくれるならば、それは役にたつ。それはメディアとしての付加価値だ。
情報としてのトピックを単体で出すのではなく、その背景や周辺に与える影響、その情報から読み取れる今後の変化。それらを組み合わせて、解釈を加え、加工した上で提供する。それが編集。
情報の重要性についての評価基準は、当然ながら個人としての重要性ではない。それが多くの人にとって共通することかどうか。普遍性だ。重要な情報を選び出してそれを上位表示する。それは編集というプロセスの最初の工程。
世の中で今、どんな情報が関心をもたれているかを知るためには、様々な手段がある。例えば、ツイッターのタイムラインをながめていると、たくさんの人が取り上げるネタがあり、話題になっていることがわかる。検索ワードランキングやふぁぼったー、TweetBuzzやRT助ったーのようなサービスもある。これらは一次情報に対するリアクションとしての二次情報の数を拾うもの。
重要な情報のピックアップについて、ログの解析や統計処理も活用して、何が大事で何がそうでないか区別をし、効率よく教えてくれるようなサービスだったら、それは役に立つものだろう。
そんな世界が果たして、全自動なものなのか、人手を介するものなのか。
まあどんな形にせよ、情報評価のプロセスには人間によるジャッジはどこかで必要な気がする。
それを、編集者という名の個人が特権的な立場で行うのか、多くの人がそのネタを引用したかどうかの統計処理として行うのか。そこには一次情報と二次情報での違いもある。
ソーシャルメディアに関する統計データと、個人の主観的な評価基準とをうまくミックスする方法が求められるのかもしれない。
ま。いずれにしても、これから我々が直面する世界がどのようなものであれ、ジェネレーションギャップがこの先どこまでも進むにせよ、これまでやってきたやり方を、無批判に続けようとする考え方は決定的に間違っている。従来のやり方を疑え。それは批判に晒されなければならない。
今は世界の底が抜けている状態だ。なにもかも全てがひっくり返っていく時代だ。これまでの常識は、全て通じないものだと仮定してこれから先は進むべき時代だ。過去にとらわれていては生き残ることすらできない。
新しい時代の新しい常識を捜し求めなければいけないそんな時代なのだと思う。
誰もが、そしてなにもかもが生まれ変わらなければいけない時代なのだ。変化の時代。
次のステージへ進むべき時が、今なのだ。
2010年6月24日07:25 加筆修正しました。
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