私が子供の頃には、「未来」という言葉はピカピカの輝きをイメージさせていた。しかし、現在においては「未来」という言葉自体のイメージが変化し、言葉がピカピカさを失っている。今や「未来」は、不確かな、不安で曖昧な、不気味な感覚を含んだイメージになっている。 そんなことを書いたブログでした。
今日、Webで60年代のマンガ雑誌に描かれた未来予想図をのっけたブログを発見。
1960年代に描かれた「未来の戦争」や「未来の生活」の想像イラスト
いや痺れますな。実に面白い。軽くめまいを覚えるような感覚。ギャップというか、まるで時間を飛び越えるときに感じるようなめまいを感じます。当時の未来はこんなイメージだったかな?確かに具体性はなくまさにイメージだけだったんでしょう。 少年漫画誌掲載のものなので、その辺のテイストは表れていると思います。
科学はこのような未来を語ることはないので、これらイラストに科学的根拠はおそらくない。雑誌の編集者とイラストレータがざっくりとしたアイデアを打ち合わせて、イラストレータが自身のイメージで描いたのでしょう。
でもおそらくは当時の人々のイメージは大体こんなものだったのではないでしょうか。当時の日本人の未来のイメージにもっとも大きな影響を与えていたのは、たぶん、手塚治虫だったと思います。まだ「スターウォーズ」が登場する前の時代ですから。これらのイラストは、手塚治虫のイメージにイラストレータの色を加えて、絵としてのタッチを劇画調に、リアルに描いたものでしょうね。
科学的根拠はない代わりに、このようなイラストには将来こうなったらいいなという願望が表れます。こういうことが実現したらいいなという想像力がはたらきます。未来予想が時にあたるのは、その予想が願望に基づいているからでしょう。技術開発や商品開発は、長期的にはそのような願望実現の方向に向かいます。
科学技術というものに対する願望。期待。そういうものが、この当時は大きかったのかもしれません。
今の時代にはなぜか、未来に対する明るい期待というものが、すっかり色あせてしまっているような気がします。
なぜでしょう。それはやはり景気の動向との関係があるように思います。高度成長期の時代。経済成長率が長期的に高く続く時代にあっては、来年は今年よりももっとよくなるという期待が抱けます。ぼんやりとした期待という感じですね。不景気が続くと、来年はよくなるとは楽観できない。もっと悪くなるかもしれない。マスコミもその手の予想を流すし。まあ確かに社会共通の基調として未来への希望は持てないのかもしれません。
時代のトレンドとしてはそんな感じなのかもしれませんが、所詮は未来への期待なんてものに根拠はないので、根拠なく明るい未来を語る作品がでてくれば、イメージなんてものは変えられるのではないかと私は思います。
21世紀の手塚治虫が現れてくれれば。社会はこうあって欲しいという願望を表現してくれるマンガなりビジュアルの提供者・表現者が現れてくれれば。
ああ、なんか他力本願な結論になってしまいましたね。いや、私もこのブログに「ネットの未来記」なんて大仰なタイトルをつけた以上、言葉で明るい未来を描きたいと思っていますよ。世の中なんてロングスパンで見れば簡単に変わると思っているし。未来は今よりよくなると、根拠もなく私は楽観しています。楽観するにせよ悲観するにせよ、どっちでも大して根拠がないなら楽観したほうがおトクじゃん!
それにしてもどうしてイラストに描かれる未来人というのはみなさん、ぴちぴちとタイトなボディスーツを着ていらっしゃるのでしょうね???それも原色系の。体型を隠すという発想はどこにもないのかしら。未来は、食事管理のおかげで誰もかれもがスマートである。と、そんなことまで織り込み済みなのでしょうか?
これと近いテーマで書かれたブログにリンク貼っときます。
comm25さん通信を続けて25年over「僕らの未来予想図」http://comm25.bloggers-network283.com/2010/10/%E5%83%95%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E4%BA%88%E6%83%B3%E5%9B%B3.html
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/10/31 12:04