自分の過去の「ユビキタスな世界」というエントリーを読んでいてそこから連想したこと。
調整とは何か。
ひとつひとつの要素を全体からみて最適化すること。
ある組織において、その構成要素である個々の部分(パーツ)の働きを個々の自律的な行動に任せるのではなく、組織の全体としての目標にあわせて部分部分の働きを制御(コントロール)すること。
ひとつの大きな目標に向かって、個々の要素の動きの方向性をそろえていくこと。部分最適で動いているものを全体最適に向けて同調・協調させていくこと。
バラバラなものをまとめること。
例えば、幼稚園児というものは個々バラバラで、どいつもこいつも自分勝手なものだ。自分のことしか見えてなく、他人のことなど知ったことじゃない。基本的に自己中で、自分の関心ごとが心の全てを占めている。他人が見えていない。
そんな幼稚園児に、お遊戯会をやらせるためには、自己中を捨てて、全体の目標達成のために、個々の役割分担を覚えさせる必要がある。
他人の動きに合わせて、自分の行動を同期・同調させることが必要になる。それは好き勝手を許さないという意味で、個人の活動を制限するということであり、型にはめるということでもある。
型にはめなければ、全体としての動きを統制することはできない。個々のわがままを許さないのが大人の社会というものだ。自由と規制のバランス。
個々人の個性を全く許さないのであれば、それは全体としてもまったく面白くない、つまらないものになるだろう。個性の抹殺は、全体最適とは異なるもの。全体最適とは個性を完全に否定するものではない。
しかしその一方、個性の全面的肯定でもない。それでは全体として機能することができず、バラバラな要素の寄せ集めでしかなく、統制のとれた機能を果たすことができない。
自由と規制はバランスをとるべきものであり、どちらか一方だけで進むべきものではない。
バランスというものは重要なキーワードだ。バランスのためにはトップダウンとボトムアップの両方向の情報の流れが必要であり、どちらか一方向だけでは失敗する。
バランスをとるためにはフィードバックループの機能がどうしても必要である。
組織論のキモは、どうもここにありそうだ。
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