村上敬亮という経済産業省の方が書いた、「コンテンツ産業の未来図」というブログが、産業としての全体像について非常に示唆に富んでおり、いろいろ考えさせられた。
以下は、私がいろいろ考えたまとまりも脈絡もないたわごとであります。
コンテンツビジネスは、インターネット及びケータイの普及によって大きな転換点に立たされている。
そのこと自体は今から10年以上も前に、インターネットが始まった頃から言われていたことではある。しかし基本的に閲覧が無料であるために普及が広がったネットと、巨大な産業であるテレビや映画のビジネスとの間において、有効な接点が見いだせないまま今日まで来てしまった。
情報を伝える流通チャネルとしてのネットが普及し、既に社会的インフラとして定着するにいたり、ネットと既存コンテンツ産業との間の不協和音が大きな軋みを立てている。
コンテンツの制作者とそれを流通させるテレビや映画といった流通チャネル、そしてその流通の中でも新参者であるネット、そしてコンテンツの消費者。資金提供者としての広告主。これらのビジネスとしてのコンテンツを巡る関係者の間で、カネがうまく回る仕組みがない。ネットの登場によって従来のバランスが崩れかかっている。
テレビや映画はネットと比べて巨大産業であったためこれまではうまい接点がなくても無視してやってこれた。しかしネットは、その中を流れるカネの量は少なくても、そこにつぎ込まれる消費者の時間はテレビに並ぶくらいに成長してしまった。実経済の中での影響をはるかに上回るパワーをアテンション・エコノミーの中で身につけてしまったのだ。このことによりアンバランスが生まれている。昨年からの世界不況が そのアンバランスを加速する結果となった。
なんとかしなければならない。そんな思いが関係者の間では共有されていることだろう。さすがに。
しかし、同じコンテンツを同時にたくさんの人に伝えるテレビと、ユーザが自分の都合に合わせてオンデマンドで自分の見たいものを見るインターネットとでは、そもそも同じビジネスモデルが成り立たない。テレビと比べるとネットはけた違いに多くの種類のコンテンツを提供している。ユーザの注意を集中させるという機能と合わせて、それ以上に注意を分散させるのだネットは。
コンテンツを巡るカネの流れを再設計しなければならないのだが、誰もその方法がわからない。
もういっそ、公的なネットの視聴率監視センターをつくって、コンテンツ単位で視聴者課金するとか。
そもそも今の時代、テレビなんてもう、いらないのか?もしいらないのならやめてしまえばいい。もし必要なものならば、誰かがカネは出すだろう。ただその額が、今までの水準と同じとは限らないというだけの話だ。どの道、テレビよりももっと安いコストでコンテンツをつくりだす仕組みは必要なのだと思う。その分、5分とか10分というように時間が短くなっても構わない。ネットには細切れなコンテンツのほうがあっている。
ネットは原理的には流通コストが安いのだから、チープなものを安く届ける役割を担えばいい。そうすると広告主は従来よりももっと安いコストで広告を出すことができるようになるではないだろうか。
ネットは見たい人が見たいものを探してみるものなだから、ニッチなネタをニッチなものが好きな人に届けることができる。そのためには届けるコストは安くなければ成り立たない。
大勢の人に一辺に広告を届けるためにはテレビはひとりあたりの単価は安い。それならネットはテレビとは違った広告主を見つけなければいけないのかもしれない。
どこかに経済的にバランスするポイントがあるような気がしている。明確に指摘することはできないけれど。
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