人間は感情で動く生き物である。私はそのように考えます。
好きか嫌いか。欲しいか欲しくないか。
合理的な説明というものは、後からその行動や選択を説明するために理屈をくっつけたもの。心理学でいう合理化とは、自己正当化のことをいいます。合理化とは合理的ではない説明(=自己弁護)のことなのですね。
これは言葉遊びのようなもんですが、本質的なところに触れているような気がします。
自分が何かを買う時って、決して合理的判断に基づいている訳ではないような気がします。欲しいと思ったから買う。判断というよりは欲望に基づいている。ような気がする。消費行動は全て衝動買いである。衝動から行動までの時間の長さに差があるだけ。これも言葉遊びかな。定義の問題のような気もします。
消費行動における選択はどのような要素によって決まるのか。
シンプルだけど難しい問いなんですよね。それがわかっていればモノを売るのに苦労なんてしないもんね。
AIDMAとかAISASとか、AISCEASとか、そんな簡単な話ではないような気がします。消費行動のプロセスを説明する上でのモデルとしてはわかりやすいんだけど、抽象度が高すぎて具体的なプロモーションへの応用にはあんまり有効とは思えない。
欲望と深くかかわっている消費という行動を説明するためには、人間という存在についての理解がまだまだ足りないように思います。
欲望の理解については、心理学や精神分析、記号論や言語学、現象学や哲学、といった人間精神に関する理論の中に、現状においてはヒントがあるように感じています。
80年代には消費記号論みたいな分野に興味を持っていたことを思い出します。
消費行動を理解する上では、マーケティングや経済学だけでは足りないのだと思います。
あ、冒頭の人間は感情で動く生き物だという言葉は、欲望で動く生き物だと言い換えておきます。私にとってはその方が人間存在のあり方を指す上では近い気がするので。私にとっては岸田秀や竹田青嗣の考え方が手掛かりのように感じているから。
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