・市役所に物資は届く(絶対量は足りない)・自宅待機しろ、と言われている・自宅へ物資を配る人とガソリンがないどうすりゃいいんだ、と。via kobab.bloggers-network283.com
4月7日の南相馬市長のビデオメッセージです。必死な姿・誠実な語りに胸打たれます。
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南相馬市長のこの映像に、私も心を打たれました。市のおかれている現状、そして避難者を含めて市民のおかれている現状をありのままに伝えているメッセージだと感じます。
映像には何の演出もなく、BGMもなければテロップもなく、背景もただの壁。そしてこぶしを振り上げたりするようなボディアクションも何もなく。その口調もただ淡々としていて、ことさらに感情を煽ったり、自ら激することもなく。その言葉自体もまた、事実を伝えることに徹し、美辞麗句やきれいごとでもなく、効果を狙ったような激しい言葉を用いることもなく、ただひたすらに淡々と伝えたい言葉を伝えている。
要するに、プレゼンのテクニックとされるような演出は一切ない、裸の言葉、むき出しのメッセージであるように思う。
しかし、それがこの胸に迫る切実さはどうだろう。koba_bさんもいうように、市長の必死さ、誠実さが伝わってくる。立場として言わなければならないことを原稿を読み上げているのではない。ポジショントークではなく、ひとりの人間として、伝えたいこと、伝えなければならないことを言葉にしている。そんな風に感じる。この人が、事態に、真剣に立ち向かっていることが、わかるような気がする。
『演出』というものが、いかに無駄で、無意味、無効なものか。
メッセージそのものが、何を伝えているか。何を伝えようとしているか。最も重要なのはメッセージそのもの。それを飾る装飾ではない。
YouTubeのこの映像は、むき出しのメッセージを伝えている。テキストだけでは、或いは音声だけでは伝わらないような真剣さを、この映像は伝えていると思う。
そして、その肝心なメッセージだが、その内容もまた確かに重い。重いが、リーダーの言葉として実に適切である。伝えなければいけないことを実に適切に伝えている。素晴しいとすら思う。
まず、仲間の、市民のおかれている困難な状況を語り、それを理解し、思いを共有していることを伝える。
避難が必要な理由についてもあらためて語っている。そして子供の学習機会など、これから目指していく方向
原発事故という非常事態の状況と、その将来見通しがたっていないことについても率直に伝える。
そしてそれに対して、福島県知事や、東電、周囲の自治体に対して現場の状況を伝え、協力依頼し、改善のためのはたらきかけを行っていることを具体的に伝える。防災担当大臣、経済産業副大臣とも協力、連携し、事態の改善に努力していることを、つまりは市のみでなく、他の県や国の力も借りて事態打開に向けて取り組んでいる姿を伝えている。
そして、避難生活という窮乏を余儀なくされながらも、それが新潟県、群馬県、長野県、栃木県等、様々な自治体の協力に支えられたものであり、個々としての不満はあっても、市としてはできる限りのことをやっていること、そしてやりきれない部分もあることを伝えている。
地域住民という共同体の現状と、これから改善するべき方向、そのためにいろいろな組織に協力を求めている現在の動き、そういったことを共有化している。
これだけの長いメッセージなので、原稿を読んでいるのだろうと思うが、単に読み上げているだけではない。言葉が上滑りしていない。言葉に真剣さが宿っている。自分が何を語っているのか自分で分かっている。それはつまり自分の言葉でしゃべっているということだろう。
他人事ではない。自分事として語っている。
そうでないリーダーがいかに多いことか。
鍛治さん、
リブログありがとうございます。
私の言葉を掘り下げていただき感謝に堪えません。
苦しんでいる人を忘れずに日々を過ごしたいと思います。
投稿情報: Account Deleted | 2011/04/18 09:32
この映像を見ると、飾らない言葉の、装飾のない事実の重みというものを感じざるを得ません。
それは、普通と言えば普通の、当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれません。
そう思うと、今の政府の事態への対応状況は普通ではないような気がしてなりません。もっと他にやりようがあるのではないかという思いです。
そしてまた、テレビの映像というものも、あまりに過剰であると。装飾過剰、演出過剰であるように思えます。そして今、視聴者はテレビのそのような虚飾に、嫌気が差し始めているようにも。
事実は事実として。そして意見は意見としてもっとはっきり伝えるべきではないのか。
メディアの機能としては意見があっていい。事実に対する解釈を含めて伝えるのであれば、そこには当然、価値判断が含まれてくる。客観性を踏み越えるそれは主観的意見です。私はメディアが意見を伝えることを否定しない。事実のみを伝えることがジャーナリズムではないと思う。(事実のみを伝えるなんてこと自体が不可能だと思うし)
ただ、メディアが事実を超えた意見を伝える時には、ひとつの意見だけではなく様々な意見が存在することも同時に伝えることがメディアの親切、というか、メディアの良心であるようには思う。
いずれにしても、過剰な装飾はいらないですよね。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2011/04/18 18:56
俺は苦しいんだ!
ここに苦しんでる人がいるんだ!
これに勝る主張はないんですよね。
テレビの装飾過剰、私も食傷気味です。
あまりテレビ見ないんですが、それでも鼻につく。
投稿情報: Account Deleted | 2011/04/18 22:31
ちょっと、情報ソースについて記録しておきます。
4月7日の南相馬市長のこのYouTubeの動画より以前の3月26日にアップされた市長の動画をsugibeyaさんがブログで紹介したのが3月27日。
「南相馬市長からのメッセージ」http://sugibeya.bloggers-network283.com/2011/03/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E9%95%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8.html
そのブログをkoba_bさんが3月31日にリブログとして取り上げている。
「リブログ;南相馬市長からのメッセージ」
http://kobab.bloggers-network283.com/2011/03/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E9%95%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8.html
その後、市長の4月7日の動画をkoba_bさんが4月11日に再びブログで紹介。
「南相馬市長からのメッセージ4月7日」
http://kobab.bloggers-network283.com/2011/04/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E9%95%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B84%E6%9C%887%E6%97%A5.html
これに対して反応してリブログしたのが、私の今回のこの投稿、ということになります。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2011/05/01 07:45