泡の国のおはなし
自分のブログが、検索でちゃんとヒットしてるかどうか確かめようと思って、前回の投稿の中で使った「変わらずにいられるつもりなの?」というフレーズをググってみた。
検索結果のリストに「恋人接客。-風俗・迷いが消えたソープ嬢の行方-」というサイトがでてきて、ついクリックしてしまった。これが、なかなか素敵なブログだったのです。
最近、ソープでSEX以上の精神的なつながりを求めるお客が増えているんだそうです。恋人的な関係性を求めるのだそうなのです。「それは違う」とこのブログ筆者は言います。そこはひと時の遊びの場なのだと。人間的なつながりを求めるのなら、それは外で探せと。「初めから身体を重ねるから、一般の恋愛より加速度的に進められると思うのは妄想です。」
人間的なつながりを求めるニーズというものは強いでありましょう。どこで求めるかは別にして。
ネットに、出会い系のサイトは多い。出会いに求めるものは人によってまちまちなのでしょうね。条件検索という機能において、ネットにはマッチングに関するメリットがある。あくまでも機械的なものだけど。それでも機会の提供という点での意義は大きいと私は思うな。
mixiにしても、Facebookにしても、その本質的な部分では出会い系ではないかと思う。ブログだって何だってネットの本質はみんなそうじゃないか?つながりたいという思い。
そしてブログの話しに戻りますが、3つ目のコメントにこんな言葉があります。「このまま変わらずに生きていく不安」と「意識的に変えていったとして自分がどうなるのか判らない不安。」 自分の責任でそのどちらかを選ばなければいけない。「自己責任」という言葉を使う。誰かのせいにしないということでしょう。
この方も、「変わることを恐れるな」というメッセージを発しているのだと思います。今いる場所にしがみついていてもあまりいいことはない。
このブログの他の記事も読んでみましたが面白い。
「鏡に映った自分。『か・が・み』の真ん中の『我』を抜けばネ申になることができるのだそうです。確かに自我などは自己のイメージだったり他者から作り上げられた偶像・らしさに過ぎない。“我を張る”なんてサッサと止めて、柔軟に生きていけば神に近づける気がします。」(「ちょっと一言だけ。」より)
きちんと自分と向き合っている人の言葉には、人をひきつけるチカラがある。
とりあえず、今回は何が言いたいのか自分でもよくわからないんだけれど、偶然ひっかかったブログの紹介ということで。
うわー、材料が反応しづらいですねww
翼にヲタ分科会が出来つつありますが風俗分科会も出来たりして・・ww
「癒し」が時代のキーワードになりつつあるようで、これは精神的に満たされない何かを様々な行為で埋め合わせようと多くの人が試行錯誤していることなんでしょうね。
数年前にうちの娘とmixiとか前略プロフィールの話とかしてて「みんな何か
繋がりたいんだろうなー」と言ったら「うん、そうそう。繋がりたいんだよ!」と激しく反応されてビックリしたことがありました。認められたい、とかそういうことなんでしょうね。リア充にみんな憧れる。
今、モバゲーにちょっとハマっていますが、これも薄いけど繋がりつつ楽しむ遊びですよね。足りないものを埋めようとするのは当然の欲求だしそれに応えるものがウケるんだと思います。
件のブログ読ませていただきましたが、ソープは斜陽なんですね。時代にニーズに合わなくなってきているのかもしれません。
投稿情報: Account Deleted | 2010/11/16 00:19
そんなにも強く「つながりたい」と望んでいるんでしょうか。みんな同じであることを確認したいのか。それならば、ベストセラーとか、ミリオンセラーみたいのがもっとあってもいいような気がするんだけど。多様化が進みすぎたがゆえに、つながりたい気持ちが強くなったんでしょうか。ばらけ過ぎたためにもう一度まとまりたくなった?多様化した中で、共通性を求めるのならば、それはより深いレベルに根源的なレベルに共通性を求めるしかないだろう。深く本質を探る必要があるのだろう。そういう大きなつなぎかたと、日常レベルにおける常時接続的なつながりかた。深く深くの方向と、広く浅くの方向。つながりたいの方向性もひとつではなさそう。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2010/11/23 10:33
はっきりしたことは分からないのですが、手作りのつながり、大きなものである必要はなく、自分が自分であることを確認したいとか、自分を認めてくれる何ものかとつながっていたい、そんな感じかもしれません。
投稿情報: Account Deleted | 2010/11/23 18:17