今、テレビで選挙速報をながら見しながらこれ書いています。
いやそれにしても、日中暑くてベタベタかいた汗をシャワーで流した後に飲むビールはうまいわ。幸せ。それが身体レベルの幸せだな。純粋な快というものだ。人間、シンプルが一番。風呂上りのビールに勝る幸せはない。あ、訂正。ビールじゃなくて発泡酒。そう。今日は第3のお酒ではなくて発泡酒、淡麗グリーンラベルを飲んでいます。
で、選挙の話。まだ開票途中だけど、与党が参院で過半数割れで、これからの日本は混沌としていく模様。カオス化の方向に向かう。ものごと進まないな。決定打に欠けるぐだぐだな明日が待っている。これからの進路はなかなか決まらないだろう。まあそれもある意味で現実を反映しているということではないだろうか。国民がどっちに進んでいいのかわからずに迷っているということじゃないだろうか。究極的には景気か福祉かという選択なのだろうと思うが、そこに迷いがある。もちろん、そんな単純な問題ではないんだろうけれども。
なんか、変わろうとする動きに対する既得権益の壁というか、慣性の法則は大きいな、という印象。変化を嫌う壁の力は大きいな。
でもこんなのは目先の動き。大きな変化の潮流そのものは止められないと私は思う。その大きな潮流とは情報化の流れ。「見える化」だ。
データの処理に関して、コンピュータチップの価格対性能比はどんどん安くなっている。メモリーの価格も同じ。ストレージもどんどん安くなっている。1テラバイトの外付けハードディスクが1万円を切る価格で売られている。それはもう劇的な価格低下だ。それに加えてビットあたりの通信コストも低下している。つまりは総じて言うと、情報処理に関するコストが劇的に低下しているということ。
これまで1年単位で集計していたデータが四半期単位、月単位、週単位、日単位で集計できるようになっているということだ。つまりは変化の兆しをより早くつかめるということ。そのためのコストが安くなっている。今まではできなかったことができるようになる。
それは全体としての無駄の削減につながる。売れないものは切る。売れるものは増産する。そのタイムスパンが短くなることは、全体としての無駄の削減、コスト削減につながるはずだ。それは無駄な生産、無駄な在庫の削減につながるからだ。それは長期的にはエコロジーにもプラスになる。世の中の全体の動きとして、全体最適に向かうことになると思う。
それは全体の流れとしてはよい方向だと私は思う。だがしかし心配もある。現状把握がリアルタイム化することにより、メリットもあるが、デメリットもある。短期的成果が問われるようになることで、長期的な視野が失われ、世の中全体が近視眼的になる可能性があるということだ。
本質的にはよい商品でも、市場に浸透するためには時間がかかることもある。これまでと違う新しいものが、世の中に浸透するまでには時間がかかることはあるんだ。それが、短期的な評価指標によって、まだ芽のうちにダメ出しをくらう可能性が増える。恐らくそれは止められない動きだと思う。
長い目で見るという、長期的視点は今後、失われていくことだろう。今、売れているのかどうか、という近視眼的な評価が広がる。これはいい商品なんだから、いつか世の中はわかってくれるはずだ、というような長期的な視点は失われていくのだろうと思う。長期的な視点も大事だと私は思う。
本質を見つめ、長い目で見ることも必要だと私は思うけれど、世の中の方向的にはそれとは逆の方向に進んでいくのだろう。
本質を見つめることは、大切なことだと私は思うのだ。
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