テレビのこれからについてブログを書こうと思って「テレビの未来」という言葉で検索したら、もとNTTで今はMIT教授でメディアラボ副所長の石井裕という人の書いた記事にあたった。「Mac People」という雑誌連載からの転載だ。
テレビの未来
http://ascii.jp/elem/000/000/103/103335/
wikipediaで調べたらこの人、東京生まれの札幌育ちで札幌南高校を経て北海道大学工学部電子工学科卒、同大大学院で情報工学博士号取得して、電電公社に入社し、そこの研究所での研究成果がコンピュータ研究者のアラン・ケイとMITメディアラボ創設者のニコラス・ネグロポンテに認められて1995年にMITに入ったそうな。
すげえ。アラン・ケイといえばパーソナルコンピュータのコンセプト発明者じゃなかったっけ?つか、ほとんどコンピュータの神様ってイメージなんだけど。そしてネグロポンテって「being digital ビットの時代」の著者だ。こんなコンピュータのグルに認められたんだ。すげえ。
この人の他の記事も読んでいたら、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組への出演の記事があった。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」出演を振り返る
http://ascii.jp/elem/000/000/095/95218/
記事一覧はこちら↓ 「石井裕の“デジタルの感触”」
http://ascii.jp/elem/000/000/053/53968/
この番組、脳科学者の茂木健一郎が司会をしているんですが、つい先日、その茂木さんの著書「脳を活かす生活術」という本を読んだばかりだった私は、この偶然に何か感じるものがありました。単なる偶然では片づけられない何か。偶然の意味。セレンディピティ。
セレンディピティ serendipity とは、予期せぬ偶然の出会いという意味です。
何かを懸命に探しているその過程で、求めるものとは違うけれど、違う意味で価値のあるものを偶然見つけること。
単なる偶然とは少し意味が違います。
何かを探し求めるというプロセスの中で別のものを発見するというニュアンスがある。
例えば大きな本屋さんでうろうろしている時に、なんか「これは読まなきゃ!」という本と出会うことがある。こういう時って、「出会い」という言葉がぴったりくる。私はそういう時に「一期一会」という言葉を思い出す。
意味のある偶然。必然性のある偶然。
それは単なる偶然とは違う。何かを探し求めている時に、私のアンテナが何かに対して敏感になっていることが、出会いをうむのだと思う。
そしてその偶然に意味を与えるのは私です。私の主観的な解釈がその偶然に意味を与える。自分の体験した出来事に対してそれが自分にとってどんな意味を持つのか解釈する。出来事に対して自分にとっての意味付けを与える。自分に関連付けるということ。
自分に無関係なこととして受け流さないこと。自分の生活、自分の人生との関連において解釈すること。自分のこととして考えること。
それはひどく面倒なことではあるけれど。しかしながら、世の中はつながっている。自分の存在は決して単独で、独立してある訳ではない。つながっている。リンクしている。リンクして存在している。
知人の知人を6人介すと世界中の誰とでもつながるという説もありますし、全ての存在は相互に関係し合っているという説もあります。確か、仏教にそのような考え方がある。すべてのものは相関関係の網の中にある。網の一部に生じた波は、網を通じてあらゆるノードに伝わる。同じ時間の中に生きている存在どうしの間に無関係ということはあり得ない。
よく覚えていないけど、蝶の羽ばたきが台風を引き起こす、というような話があったような。複雑系理論の話だったか。それともジュラシック・パークの映画にでてきたんだったか?中国の故事にも蝶の夢を見てどうたらってのがあったような気がする。あああ。この曖昧な記憶。
それはさておき。すべての体験を自分の存在に結び付けて考えるということ。
そのようにして世界を解釈していく。世界と自分との関係をひとつひとつ位置付けていく。そうすることによって、あらゆることが自分とつながりをもった出来事になる。関係性が濃いか薄いか、強い関係か弱い関係かはあっても、少なくとも自分と無関係ではない。その出来事を自分との関係性の中のどのポジションに位置づけるのか。
いや、さすがに全部が全部そんな風には処理できないっすよ。そんなにキャパねーもん。無理です。でもその姿勢。その心掛け。気構え。アティテュード。マインドセット。
そのような営みがアンテナを張るということではないかと思います。自分の関心を世界に対して開いておくというか。ドアを閉めてはいけない。いつも開いておかねば。
そう自分に言い聞かせます。
「自分には関係ないし」って。それ言っちゃったら終わるな。
どこにでも、何にでも首突っ込んでいかなきゃ。たとえ面倒なことに巻き込まれることになっても。スルーすることによって、失われることだってある。そのような機会損失は決して測定することができない。
つか、そもそも人生の意味なんて測定できるか?人生の豊かさを数値化できるか?
まあね。理想は食えねえけど、理想を諦めちゃ生きてる意味がないとオレは思うよ。
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