河合隼雄と谷川俊太郎の対談集、「魂にメスはいらない [ユング心理学講義] 」という本を読んだ。
その名の通り、ユング心理学についての平易な解説書だ。ユングの心理学は、人格の統合化を目指す。意識と無意識を含む心の働きには、理屈では説明し尽くせない不思議な力があるという。心の病気からの回復には、病理の理論のみではなく、本人自身の心の働きによるところが大きいのだそうだ。
だが、この本から私が得たものは、自分の心の持つ東洋的な感性とロジカルな思考の対立についての自覚だ。
ユングの説く人類に共通の精神構造、アーキタイプ。女性原理を象徴するグレートマザーもそのアーキタイプの一つだという。グレートマザーは慈しみ、守り、そして時にはその子供を自らの価値観の中に飲み込みスポイルしてしまう恐怖の存在。二面性を持つもの。
だがグレートマザーはあらゆるものを受け入れ、肯定する寛容の象徴でもある。良いも悪いも問わず、無条件の受け入れを保証する存在。無限の慈愛。無限の忍耐をもつ弥勒菩薩のようなものでもあろうか。それともむしろ観音菩薩のようなイメージか。全てをあるがままに受け入れるその優しさは東洋的な自然観にも通じるものがある。全てをそのまま受け入れるということは、論理的思考とは対立する。善と悪とを分け、契約を重視する父なる神とは相いれない原理を持つ。父なる神とは禁止するものである。汝なすべしを定め、なしてはならぬものを定める禁止の神。
そしてそれは受容と分析との違いにも。対象を分析、評価し、判断することなく受け入れるグレートマザー。勝間和代が「起きていることはすべて正しい」という本を書いているが、スーパーポジティブなその姿勢。というか、存在するものをそのあるがままに受け入れる姿勢とは、どこか東洋的な思想につながるものがある。
要素還元的な西洋的合理主義に対して、全体をそのままに受け入れ、全体として理解しようとする東洋思想。
全体を全体のままにとらえる感覚は私も持っている。分析することなく。機構を部分に分解してその部分の働きを部分ごとに分析し、それを総合して再度全体像に再構築して理解するのが本来の要素還元主義というもの。デカルトが主張したのも、まずは要素に分解して部分として理解して、そのあとにそれを全体に統合することによって総合的な理解にいたるという構想だった。
分析が大事か全体をトータルに受け止めることが大事か。そういう対立が自分の中にも確かにある。合理主義と非合理主義の対立。要素還元主義を超えてトータルにとらえる。全体を全体としてとらえるトータルな視点は必要だが、それと同時に、部分を分析し、機能の集まりとして分析することもまた大切。
部分と全体のバランスが大切なのだ。
バランスをとれ。
『ホロン革命』とはアーサー・ケストラーの著作である。もう20年も昔に読んだ本なので、内容はほとんど覚えていないが、私の中にその印象は残っている。それだけ印象的な本なのだ。
http://www.interq.or.jp/drums/mihara/horon.htm
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