9月の26日、Firefoxのバージョンアップがあり、Ver.3.0.3がリリースされた。
Firefoxのヘルプメニューからバージョンを確認すると、そこにクレジットというリンクボタンがある。
そこにはThanksリストとして、開発にかかわった人々の名前がリストアップされていて、映画のエンドロールのように一人一人の名前が流れていく。
たくさんの人の名前がある。次々と現れては流れて消えていく。見た感じでは、欧米人風の名前が多いような気がする。欧米人というか、むしろ英語圏の名前というべきか。JackとかTomとかそんな感じ。でもなかには明らかに英語風とはちがう名前もある。ロシア語っぽかったり。
このアプリケーションの開発に携わったたくさんの人々の名がそこにある。オープンソースということの意味合いがそこから感じられる。たくさんの人々がボランティアでこのソフトウェアの開発に貢献しているのだ。
その人々の気配がかすかにThanksリストの名前の集合から感じられる。個人が個人の立場でこの共同作業に参加していることの、その「意志」の気配がかすかに感じられるのだ。
誰かに強制されたわけでもなく、報酬をもらうわけでもない、そのボランティアの精神。For the teamのスピリット。そのかけがえのない尊さ。私利私欲のために食べ物に毒物を混入し、利益のために数学的統計処理によって実体経済を遥かに上回るバブリーな取引を作り出した金融商品を編み出したりするような、欲深い人間の、たくさんの欠点を持つ人間という生き物の、しかしその人間という種の持つ、もっとも気高い精神性というべきものが、オープンソースというやり方を支えているボランティア精神であるように思う。
その無私の貢献の成果であるアプリケーションのクレジットに触れた時に、私は人間という種のよいところ。人間という存在の希望に触れたような気がした。
絶望的なまでに利己的で、打算的な、他人の被害を省みない行いを積み上げてきた人間という生き物の、しかしその中には確かによいところがあり、尊いものが存在していることの証が、このようなオープンソース。
人種の壁を越え、言葉や文化の違いを超えてなされる無償の共同作業。その価値。その意味。人と人とが手を取り合ってひとつの目標に向けて没頭すること。そのことの価値。
ちなみにFirefoxは、フィンランドなど北欧諸国でのブラウザーとしてのシェアが高いそうだ。40%を超えているという。オーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア諸国でも30%を越えるという。そこには言語の問題があるそうだ。ローカライズという翻訳の問題だ。小さな、人口の少ない国においては、オープンソースのソフトウェアはボランティアによる翻訳がスピーディに行われるという。商売にならない国、言語的に少数派の言葉に対しては、マイクロソフトのローカライズが遅い、ということ。それは別にビジネス的な意味では間違ったことではない。
ボランティアということは、平等、公平ということにもつながるのであろうか。
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