自分はこれでいいのか?今、自分のしていることは正しい道の上にのっているのか?自分は日々の日常的なルーティーンに流されて、大事なことを忘れてはいないか?自分は間違った道にはまっているのではないか?
そうした疑問を抱くことが時々あります。
自分に対する疑問。 懐疑の精神。
疑問とは、正しいか、正しくないか、自分に問いかけること。
それは、動物にはできない、人間だけの特性なのだろうな。
自分に対して疑問を持つということは、自分の在り方について、自己認識を持っていることが前提になるから。自分を客観視していなければ、自分に対する疑問なんてでてこない。自分を見つめる自分の目。
「汝自身を知れ」という言葉がありますが、自分のことを考えるということは正しく哲学的思考の始まりなのでしょう。
「自意識過剰」という言葉もありますが、これも動物にはあり得ないことではないでしょうか。私自身もちょっと、自意識過剰なところはあると思っています。自分がこういうことを言ったら、相手はきっと自分のことをこういう人間だと思うだろうな、ということをシミュレーションするのが自意識過剰ということでしょうか。或いは、自分のことを、相手からはこう思ってほしい、というところから考えて、自分がどうふるまえばいいかを考えたり。それは結構複雑なプロセスではあったりしますね。それはやっぱり人間ならではというか。
「ものごころがつく」という言い方がありますが、これは正に自分のことを対象化して観る、ということでしょう。自分を客観視するということですよね。
それはつまり、自分の言動に対する相手のリアクションをシミュレーションするということでしょうか。
いろいろ設定条件を変えてシミュレーションするということは、確かに他の動物にはできない、人間ならではの特徴かもしれません。
相手のリアクションをシミュレーションするということは、相手がどう考えるか想像するということであり、相手の思考パターンに対する理解(あってるあってないは別にして)に基づく行動です。
相互理解、つまり「共感」ということは、人間という存在にとって、根本的に重要なことかもしれません。
裏返して言うと、「共感」が失われた時は、人間が人間でなくなることを意味しているのかもしれない。
そんな危機感をぼんやりと感じています。
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