前回書いた、人間における短期記憶と長期記憶の関係、そして人間とコンピュータの関係についてもう少し考えてみたい。
人間が意識の領域で考えていること(=情報処理)は、パソコンにおけるCPUとメモリによる短期記憶領域での情報処理に似ている。パソコンにおける長期記憶であるHDDが行うような長期記憶に関する情報処理についてはコンピュータに任せて、人間とコンピュータの役割分担をすることができないか、というようなことを前回書いた。
それは、人間は長期記憶(=無意識)を使うのをやめるという意味ではない。現在の人間の考えるやり方はそのままにしておいて、人間において限界のある長期記憶へのアクセスをコンピュータに補完させるようなサービスが考えられるのではないか。小説家や漫画家、漫才師などの中には、日頃、思いついたネタを書き綴るネタ帳を持ち歩く人がいるという話を聞く。ミュージシャンなども思いついたメロディやギターフレーズをこま切れでも常に録音しておいて、曲を作る時に聴き返したりするという。
私自身を考えても日頃、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のミクシイや複数のブログに思いついたことを思いつくままに書き記している。これらは私に関するパーソナルな記録だ。細切れな記憶の断片といってもよいだろう。
これらの記憶は私の外部に存在している訳で、私にとっての外部記憶と言っていいだろう。いつ、何をしたか。その時、何を考え、何を感じていたのか。
ケータイからミクシイやブログに書き込めることによって、空いた時間にいつでもどこでも書くことができる。メモ帳の代わりにすることができる。ユビキタスに。それはつまりいつでもどこでも外部記憶にアクセスして入出力することができるということだ。
そのようなパーソナルな外部記憶をもっとうまく活用するすべはないものだろうか。自分の過去と対話することによって、新しいアイデアを生み出すことはできないものだろうか。
そんなの、自分の過去のブログを読み返せばいいじゃないかって?
そりゃそうだ。そうしよう。
蛇足:
パソコンに積んでるメモリの容量が大きいとサクサク動くよね?
人間も短期記憶である意識の中に、いろんなことを放り込んでおいて同時に意識できる人(メモリ容量の大きい人)は、頭の回転速いよね。いくつかの情報を同時に処理してるんだよね、きっと。
私なんかは、いろんな情報どんどん忘れて、意識から無意識に引き渡して、意識から消去してるから、一度にたくさんのことできないんだな。 意識の中にたくさんのことを抱えていられないんだ。
シングルタスクとマルチタスクの違いって、きっと人間にもあるんじゃないかな。
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