佐々木俊尚氏の「ウェブ3.0と黒川紀」というブログに触発されてこれを書きます。まずはメモ程度に。
インターネットは相互に接続されたコンピュータ群である。それは形式の異なるデータベースの集合体であるともいえる、というか、むしろ形式化されていないカオスティックなデータの格納庫である。
リレーショナル・データベースは、共通のIDによって相互に接続されたテーブルだ。オープンIDという仕組みによって、インターネット上の様々なサイトに分散した個人の情報を共通のIDによって統合する可能性が出てきた。
佐々木氏のブログにある「非集中化した私」が実現する可能性である。
実際、私は3つのSNSサービス、3つのブログ、1つの登録型のクチコミサイトを利用しており、様々な文章を書き散らかしている。どこに何を書いたのか、自分の記憶で把握しているとは既に言い難い状況だ。更に他人のブログに書いたコメントは、自分の記憶以外に後から追跡する手段もない。
私の思考がインターネット上に分散して存在している状況だ。ある意味では私のアイデンティティがネット上に拡散している。
文章を書くという行動は、それなりに頭を使う作業なので、それを散逸させてしまうのはもったいないと私は思う。
共通IDによってそれが再統合できるなら、私はそれをもろ手をあげて歓迎する。それはネット上に分散した私の断片を手繰り寄せることになるからだ。
あちこちのサイト上に分散した自分の行動ログを、再統合するというのは素敵なアイデアだと私は思うのだが。
ただし、それを利用するのは私限り、という前提だが。第三者にそれを許すということは、自分が丸裸になることだと思うからだ。基本的にオープンであることはよいことだと私は思っているが、丸裸になるのはちょっと抵抗あるよな、さすがに。
でも、自分の過去が超簡単に振り返れたら、それは便利なサービスだと思うんだ。そんなものがあれば、安心していろいろなことを忘れることができるじゃないか。忘れてもいつでも取り戻せるのだから。
自分の過去を検索できるのは、便利なことだと私は思うのだが。いつ頃、どんな本を読んでたのかとか、どんな曲を聴いてたのか、とか。何を考えていたのか、とか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。