今、日本の大学にはかなりの数の留学生が来ているそうだ。なかでも東南アジアからの留学生も多いという。
知的好奇心旺盛な彼ら留学生と比べて、日本人の学生のパワーが弱い。ひ弱である、という雑誌記事を読んだ。
日本はぬるま湯社会になっているのではないかという警鐘だ。世の中が安定し、ガツガツした上昇志向が薄くなっている。特に若者の間ではそういうアティテュードがダサいとされて忌避される。そんな傾向はもうすでにこの日本においては十数年以上の間、すっかり定着してしまっているように思える。
なんだか小せえ。小せえな。
小粒だ。でっかい夢を語るようなパワーがないというのは、何だか既に定着した事実であるかのようだ。大きな夢、理想を語る力、想像力というものが、日本の中に不足している。
元国連事務次長の明石康氏が月刊アスキー7月号に書いた記事から引用する。
「私はいくつかの大学で教えているのだが、日本人学生だけの教室は活気が足りないように感じる。英語力も弱いのが普通だし、一般常識にも欠けることが多い。留学生が入ってくると、これが一変する。思いがけない角度からの率直な質問が増え、教室は生き生きしてくる。
教師や年長者に対する遠慮など、文化の違いもあるに違いない。それにしても、教師を問い詰め、徹底的に知識やものの見方を学ぶ意欲の衰弱が感じられる。日本社会はぬるま湯のようになり、人々は自足し、未来の輝かしい展望や思いがけない知的冒険への欲求が減退してしまったのだろうか。そうしたさびしい思いが、何度退けてみても、また戻ってくるのである。」
自分は未来志向でいきたいな。
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