今時の小中学生は修学旅行にケータイを持っていくのは禁止されているそうだ。でも実際はみんな持ってってるらしい。そりゃそうだ。
旅行先でみんな、ケータイで写真いっぱいとるんだろうな。その感覚からして私の時代とはまるで違う。隔世の感があるな。
だって自分が子供の頃は写真ってもんはフィルムが必要なもんで、36枚撮りとかなんとか、撮影枚数に制限のあるものだった。それが当たり前だった。今時の子供たちは撮影枚数なんて気にするだろうか?もちろん、ケータイにだってメモリの制限はあるのだが、そんなものは忘れた頃に気がつくようなもんで、普段は全く気にしてないんじゃないか。
そして修学旅行先で撮った写真は、速攻、ブログなどにアップされるのだそうです。ブログの存在は親には内緒だったりもするみたいですが、私がこの話を聞いた人の場合は、母親はしっかりそのブログを見てたそうで。しかも、子供の方はブログの閲覧にパスワードでガードかけてるそうですが、親はパスワードを推測して、開いちゃってるそうで。
今時の親子の攻防というものはそんな形になってるんですね。(笑)
簡単に推測できるパスワードを設定してはいけません。(笑)
大変なのは、そんな子供の話を母親から聞かされるお父さんの方で、子供のブログから内緒で仕入れた話題は本人の前で話せない訳で、子どもと話す時に、この話題は話していいものなのか、それともNGなのか、非常に混乱しちゃうそうです。母親の方は自分がパスワード開けて読んでる訳だから、その辺、区別してるんだけど、お父さんは母親から聞いてるだけだから、どっちがどっちなんだかわからなくなるうだそうだ。
それにしても、修学旅行の日記がリアルタイムでブログにのっかっているなんて、すごい話だと思いませんか。リアルタイムでアップされた日記をまたリアルタイムで読んでいる人がいる。リアルとネットの向こう側が一体化している。区別がない。
ネットが当たり前というのはそういうことを言うのでしょうね。私の場合はまだそこまで生活の中で融合していない気がする。リアルはリアル。ネットはネットで区別があるような気がする。人格も使い分けてるような気がするし。子どもたちは、きっとそんな使い分けなんてしてないんじゃないかな。
ネットが何ら特別なものではなくて、単なるコミュニケーションのツールでしかないというのはきっとそういうことを言うんだろうな。
ネットが当たり前のものである子供たちに対して、どんな新しい体験を提供したらいいんだろうか。コミュニケーションって、一体何なのか、その本質を考えなきゃだな。あるいは考えるんじゃなく、感じるか、だ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。