今、イアン・エアーズという人の「その数学が戦略を決める」という本を読んでいる。原題は、"Super Crunchers ---Why thinking-by-numbers is the new way to be smart" 。
コンピュータの普及浸透によって、 大量のデータが容易に収集可能になり、その統計分析によって様々な意思決定がなされるようになってきている。統計的判断が急激に拡大している。統計的なデータ処理の適用分野が広がっている。
ワインの出来の予想から野球選手のスカウトやウォルマートの雇用テスト、金融商品などなど。
統計的な判断というものはなぜそうなったかという理由を問わない。結果を示すのみだ。AとBという選択肢があった時にどちらが多く選ばれたか、という結果を示す。
なぜそうなったか、という理由はわからない。例えばホームページのデザインを2つのパターンつくって、交互に表示させ、どちらのデザインがユーザの滞留時間や他のページへのアクセスに有効か比較するといった具合だ。
理由はともかく有用な結果が得られれば良いという考え方だ。そのためのツールはすでに整っている。あとはどう使うかという適用方法をどうするか。
結果が有用であればよいという考え方そのものに異論はない。その方法が全てという訳でなければ。要はどこで使うかという使い方の問題だと思う。
インプットとそれに対するアウトプットを統計的に関連付けて、その間のロジック、アルゴリズムをブラックボックス化するというその考え方は、スーパーコンピュータの研究におけるニューロ・コンピュータと呼ばれていたアプローチを思い出させる。適用領域を正しく限定すれば、そしてデータが十分に大量にあれば、有効な方法なのだろう。きっと。
人間の選択の理由なんてロジカルに説明しようとしても無駄じゃないか、という考え方だな。なぜAではなくBを選んだのか。その理由はいらない。結果だけ分かればよい。グーグルのAdWordでどのワードを選んだら最もリターンが大きいか。それだけの話だ。
問題はこの方法をサービスのパーソナライゼーションに応用できるかどうか、個人情報の保護とどう折り合いをつけるかということ。
自分に関する購買履歴やアクセス履歴が大量にどこかに蓄積され、分析されているということに対して、拒否反応を示す人はかなり多いのではないかと想像される。私自身は自分の情報なんてそんなに大した価値があるもんじゃないと思うから別に気にならないけれどね。悪用さえされなければ、という前提だけど。
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