ものごとを見るときの視点として、鳥の目と虫の目という言い方があります。
高い所から鳥のように広く見渡す鳥の目。大局的に全体像を俯瞰するマクロなものの見方のこと。一方、地上の虫の目のように、現場に即して、ひとつひとつの小さな事実や小さな動きを見逃さずに、無視せずに、データから追いかける帰納法的な視点が虫の目。
目の前の事実に追われていると、全体を見失い、「木を見て森を見ず」という状態になる。部分的な個々の問題への対症療法的な、その場しのぎの対策に追われて抜本的な対策を忘れる。問題の本質を追求せずに、表面的な対応に終始するから、根本的な問題が残る。構造改革とか言いながら、核心には触れずに表層的なつじつま合わせに終始して、国際社会からパッシングされているどこかの国の政策のようですね。
しかしまた一方で、大局的なことばかりを考えていると、目の前の穴に落ちる。大義を考え、将来を見越した行動をとっていても、会社がつぶれては何にもならない。大義が実現することもない。変化の兆しは小さなところに現れる。小さな変化を見逃すことは命取りになる。ゆでがえるの喩えがありますね。
大きな流れ、全体像、本質をみること。大局的な視点というのは大切です。大局的な視点には、時間軸の要素が含まれている。中国人は100年先を考えるとか言いますが、100年間という時間を考える時には、小さなことにはこだわってはいられない。本質を考える必要がある。それは恐らく人間の本質を考え、そこから導き出される必然性を基に考えるということでしょう。
書物には古典と呼ばれるものがある。時を超えて読み継がれる古典的名著と呼ばれる本がある。それらは人間の本質をとらえているが故に時代を経ても古びることがない。流行りすたりのトレンドとは無縁の、本質をついた思考。時代を超えた本質的思考。それを同時代において見つけだすことは難しい。
思想や価値観にも流行はあります。経済至上主義であるとか、成長至上主義であるとか、自由経済や市場原理などもそうかもしれない。今は当たり前の考えが、10年後には当たり前ではなくなっているかもしれない。その時代に流行した考え方の中に我々は囚われている。時を越えて続いていく思考とは本質をとらえた思考だ。
マイクロソフトのビル・ゲイツにしても、アップルのスティーブ・ジョブズにしても、あるいはパーソナルコンピュータの提唱者であるアラン・ケイにしても、時代を超えた長期のビジョンを持っていたに違いない。コンピュータによって我々の生活がどのように変わっていくのか、深く考えていたに違いない。TRONの提唱者である坂村健もそうしたビジョナリストの一人だと思う。
この先我々の生活がどのように変わっていくのか。未来を考えるのは楽しい。鳥の目線で考えてみたい。
そこに自分なりの色を出すことができるといいのだが。
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