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2012/03/06

コメント

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NHKクローズアップ現代でも、番組オリジナルの「初音ミク」が放送されました。その映像が制作後記に載っています。http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/200/111044.html

鍛冶 哲也

コメントありがとうございます。リンクを見ましたが、そこにつけられたコメントの数々の方がむしろおもしろかった。NHKのサイトにコメントする人はやはりちょっとユーザ層が違うようにも感じた。

単なる印象ですが、若者は少なく中高年が多いような。「ボーカロイドはミクだけじゃない。もっと高性能なのもある。ミク以外のボーカロイドを無視するな」といったコメがいくつか散見されましたが、恐らくそれが「NHKでミク」に釣られたヲタ系の若者のものであろうかと。

中高年と思しきコメントには、やはり激しいジェネレーションギャップを感じます。その違いはきっとマスメディアを信じているかいないかの違いかもしれない。そのギャップは、すごくすごくものすごく大きな断絶ではないかと私は考えています。今の日本にはふたつの人種が共存している。あまり交わらずに。

ニュータイプとオールドタイプ。
 
 

鍛冶 哲也

そのNHKの番組のテキスト版をみつけました。

思いが伝わる声を作れ ~初音ミク 歌声の秘密~http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3166&html=2

プログラムに人間の歌声を真似させるための技術というのを読んで、人間が歌う時の技術というものに考えが及びました。

心を込めて歌うという言い方があります。言うのは簡単だけどやるのは難しい。

それを表現しようとすると、歌うということの技術を意識する必要がある。音程の取り方。音の上げ下げ。異なる音程の間をどんなタイミングでどうつなげるのか。どこにどんな風に強弱をつけるのか。どんな風に声にビブラートをかけるか。どれ位音を延ばすか。息継ぎをどこでどうやるか。

全部計算する訳ではないけれど、そういった技術的要素に意識を配ることで歌に変化をつけることができる。ま、うまい人は計算ではなく体感でそれをやるのだと思いますけれど。経験値によって。いわゆる体得というやつですか。

感情のこもった歌というものをコピー(再現)しようとする時にはそういう技術的な部分での再現が必要になる。要素還元。分析と模倣。

ある意味ではエモーションそのものも分析と要素還元可能なものなのかもしれません。人間という存在そのものがつぎはぎだらけのコピーなのではないかという私の人間観です。
 
 

鍛冶 哲也

プログラムは同じ歌を何度でも何度でも同じように再現することができる。

一方、人間はというと。

同じ歌を何度でも全く同じように歌えるということは、技術的な問題なんだと思う。普通はできない。

もちろん、「同じように歌う」ということをどの程度の精度で判定するかという問題はあるけど。評価のシビアさというか。表現の細部をどこまで読み取るかということだ。

大雑把に聴いてる人にとっては関係のない話し。どこまで気にするか、どこまでこだわるかの問題。一般には制作者の方がディテールにはこだわる。聴いてる人たちはあんまりそのディテールの違いがわからないことが多いと思う。

それは言語表現におけるディテールへのこだわりも同じだ。

精緻さにこだわるというのは美意識の問題なのだろうか。そういう意味での大雑把な人間にはなりたくないな私は。「違いの判る男」というコピーが昔あったが、そう考えると深いコトバだ。

指先の表現とか、ディテールをおろそかにしないということは様々なジャンルで重要なこと。

「神は細部に宿る」という言葉もあるが、いろいろな解釈ができる、含みのある言葉だな。

その一方で、細部は全部ばっさり切り捨てて、一気に本質に切り込むというやり方もある。

表現技術にこだわるか、コンテンツそのものの本質にどこまで迫れるかその掘り下げ方にこだわるかの違いかな。「生きるとは何か」という問いかけというか。
 
情緒的な言い方になるけど、「魂の叫び」みたいなものには技術は関係ない。

技術的な表現は繰り返し再生が可能だが、「魂の叫び」はそういうわけにはいかない。 

鍛冶 哲也

VOCALOIDという音声合成ソフトのイメージキャラが、CGという視覚化をともなってリアルなコンサート会場(東京ドームシティホールというキャパ3,000人位のとこらしい)でリアルな観客を集めてライブを演る。そしてそれを有料でニコ動で生中継する。そんなミクの日大感謝祭というイベントについて書かれたブログを見つけました。長いけど。ミクという現象についての考察もあっておもしろい。ミクはわかる人にだけわかる「踏み絵」である。

【ミックミWeek】初音ミク現象で、ヤバイ「何か」が起こっている気がする考察。
http://pekokinta.blog.fc2.com/blog-entry-21.html

そしてその同じ人がミクの日大感謝祭を実体験したレポートがこちら。

【ミックミWeek】初音ミクと言う天使が舞い降りた・・・あり得ない現実が起こる奇跡のコンサート!(その2・コンサートの実際)

http://pekokinta.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

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