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2011/11/06

コメント

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鍛冶 哲也

どこで誰に撮られているかわからない。そしてもしかするとそれがどこで公開されているかわからない。そういう状況がもしかしたら、人の行動における「見られているかもしれない」という自覚につながり、自分の行動に対する責任、自己チェックという形で倫理観、モラルの向上につながるかもしれない。

この投稿に対して、Twitterで「まさに、お天道様が見ている」というコメントをいただきました。

それだ! That's it!

宗教の影響力が小さい日本人の行動モラルの基盤は、まさにその「お天道様が見ている」という感覚にあるのではないかと私は思うのであります。その感覚は非常に重要なものではないか、と。

自己中心的な考え方と、周囲の人間との関係の調和をはかる考え方と。そのふたつの対立する基準の中でバランスをはかる日本人のありかたというか。

このブログでは、「空気ばっか読んでんじゃねぇ!」という意見を何度か書いておりますが、だからといって、単純に自己中でいい!と言いたい訳でもありません。

自分は何を望み、どうしたいのか、ということについてはもっと深く自分自身に問いかけるべきであろうと思う。そしてその上で、他者の存在、他者の考えに対しても先入観を排して聞き入れ、双方の相互理解に基づいて、その対立を乗り越える第三の案を見つけ出してゆく。人間社会のそれがあるべき姿ではないか。

どうすればそれが実現できるのだろう。大きな、とても大きな課題です。そして切実。
 
 

ルート134

腕時計だったけど。

「ヤマビコ13号」松本零士
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