博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所が2011年2月に行った「メディア定点調査2011」の結果、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット(PC、携帯電話)のメディアへの接触総時間は1日あたり5時間50分と前年比2.1分の増加だった(東京地区)。
Business Medeia 誠 「メディア接触時間は1日5時間50分、携帯からのネット利用が急増――博報堂調査」より
テレビの視聴時間は前年より11分減って、161分。2時間41分だ。減ったとはいえ、結構長い。
PCからのインターネット利用時間は、4分増えて81分。
スマートフォンを含む携帯電話からのインターネット利用は、7分弱増えて32分。
ラジオは、約4分増えて33分。
新聞は、4分減って23分。
雑誌は、2分増えて18分。
ここ4年間の変化の推移をグラフでみても、それ程ドラスティックな変化はうかがえない。しかし、インターネット接触時間がPC、携帯電話ともほぼ一貫して増加傾向にあることと、その中でも携帯がこの4年間で倍増している。そのことは注目に値すると私は思う。PCと携帯をあわせて、平均値でひとりあたり1日に2時間近い時間をインターネットに費やしていることになる。これは小さくない数値だ。インターネットは既に生活の中に浸透していると言えるだろう。
インターネットの利用時間の増加には、スマートフォンの保有率上昇が影響していると博報堂DYメディアパートナーズは分析している。現在の保有率は16.5%。20代男性では35.2%、20代女性は22.4%。30代男性は35.1%、30代女性は16.9%。
20~30代の男性は実に3分の1がスマートフォンを保有している。
また、20代女性のTwitter等のミニブログの利用体験率は、2010年の47.2%から2011年には70.7%と急増している(博報堂DYメディアパートナーズのニュースリリース)。ananでもTwitter特集やってたくらいだからな。とはいえ、この増加率はものすごい。桁外れな爆発力だ。持続するかどうか、定着するかどうかはちょっと気になるが。
更には、10代女性のPCを通じた動画投稿・閲覧は92.9%にのぼるそうだ。(博報堂DYメディアパートナーズ2011年メディア定点調査)
メディア接触というか、情報接触に関するジェネレーションギャップは確実に拡大している。それはインターネットを利用しているかどうかの世代間格差だ。情報提供者から一方的に流されてくるコンテンツを受動的に受け取るマスメディアを通じた情報取得のスタイルと、検索という手段とフレンドやフォロー先の選択というフィルタリングを通じて能動的に情報を選んで取得するスタイルの違い。そしてネットに蓄積された膨大な情報量。それを使うか使わないかの違い。
加えて情報の発信者になるかどうかの違い。ほとんどの人は、情報の発信者になるといってもその影響力はたかがしれていると思う。それは例えばブログを書いている人の誰もが万単位の読者を抱えている訳ではない。TwitterもFacebookも同様だ。だが、数百人単位でコネクションを持つ人ならかなりたくさんいる。全員にリーチする訳ではないにしても、数百人単位でのコミュニケーションをとる手段はこれまでなかった。それに近いものといえば、ビラを作ってまくというくらいのものだ。浸透までに時間もかかるし手間もかかる。リーチも小さい。
こうした情報格差の存在については、コンピュータが使えるかどうかというメディアリテラシーが壁になっていることは間違いないと思うのだが、その壁をはたしてiPadやタブレット(スレート)端末はどこまで低くできるだろうか。それともその役割は、スマートフォンが担うのか。
男性40代のスマホ保有率18.5%、50代は16.9%、60代は3.6%。
女性40代の保有率は5.2%、50代は3.6%、60代は1.7%。
女性の方が保守的なのか、仕事がらみで興味をもつような機会が少ないのか。それともそもそもそんなものは生活上必要がないのか。
少なくとも携帯電話は受け入れたし、ケータイのメールもかなり浸透しているとは思うのだが。その意味ではPCやタブレット端末よりはスマホの方が、ケータイの延長としては受け入れやすいだろうか。それともタブレットの方が大きくて見やすいという点で普及しやすいのだろうか。Galaxy Tabみたいなやつ。
インターネットは相互に接続されたコンピュータのネットワークであり、コンピュータはコミュニケーションの手段である。コミュニケーションの変化は人間社会の変化をもたらす。それは経験の共有化を促し、知恵の集積度をアップする。人類が、より賢くなる方法に進めばよいなと願う。
スマホの普及はかなり急激だったように思うが、この先はどうだろう?ジェフリー・ムーアによると、ハイテク機器が普及するかどうかの分かれ目が普及率16%。すなわちそれがキャズムだという。日本ではそれを超えた。新しいもの好きなアーリーアダプターがとりあえず使ってみる段階から、一般に受け入れられるかどうかの鍵を握るアーリーマジョリティーを取り込めるかどうか。現在日本のジェネレーションギャップはその境界線を難しくしているようにも思う。ジェフリーが「キャズム」という本を書いた1991年よりも、更に現在は複雑化しているようにも思えるからだ。
しかしな。ジェネレーションギャップは縮まらない気がするな。拡大し続けるのじゃないかな。デジタルデバイドは時代から取り残される。彼らは救済されるべき存在なのだろうか?
自己責任のような気が私はする。そして、彼ら自身が、救済されることを望んでいるとも思えない。
過去の一時期、確かにテレビは最新の情報をいち早く伝えるメディアであった。その普及期においては、持っている人と持っていない人との間の情報接触格差はあったのだ。だがその時に、テレビという手段により情報接触手段を手にするかどうかは自己責任の問題ではなかったか。情報格差は、税金によって救済するべき問題なのかどうか?
私は違うと思うのだが。皆さんはどう思われるだろうか?
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