5月1日、アメリカのオバマ大統領は、2001年9月11日の同時多発テロを首謀したとされる国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを米軍特殊部隊がパキスタン国内で殺害したと発表した。
(日本のニュースでは「殺害」という言葉を使っており、違和感を感じたので調べてみたが、オバマ大統領が「kill」という言葉を使っている。米軍事作戦でビンラディン容疑者殺害=オバマ大統領の声明(英文)。軍事行動としてやったことについて、「危険を排除した」とかなんとか間接的な表現をとらず、「kill」と直接的な言葉を使ったのは大統領のシンプルでダイレクトな性格によるものなのか、それとも米国民を煽る意図があったのか)
このニュースに米国民は歓喜をあげているとも日本に伝えられている。日本のTwitterではそんな米国民の反応に違和感を感じるとか、所詮は政治ショーだとか、報復テロへの危険とか、これでテロが減るわけじゃないとか、裁判も何もなくいきなり殺害するその手続きに対する疑問だとか、様々な意見が上がっている。
それらを斜め読みしながら私が感じたこと。世界の中の危険が少し減少した。
確かにテロは消えないし、反米思想や反米感情も消えない。しかし、中心を失った組織は分散していくだろう。組織的な大掛かりなテロ活動のリスクはこれまでに比べて相対的に減った。
日本の戦国時代を考えてみよう。小さな国に別れ、多くの武将が勢力争いに明け暮れていた時代。その時代には各武将のリーダーシップが大きな意味をもっていたことだろう。時代が下って世の中が安定した江戸時代、世を治める組織が確立した時代には、リーダーなんて誰がなっても同じという感じになっていたのではないだろうか。ちゃんとした根拠はないけど。
平和な時代にリーダーは求められない。リーダーが求められるのは危機の時代。変化の時。
官僚組織にリーダーはいらない。逆に言うと、非官僚組織にはリーダーが必要だ。
学級委員なんてもんはお飾りであって、誰かいりゃあいい。リーダーシップなんて不要。でもチンピラとか不良グループとかにはリーダーがいる。それはお飾りじゃなくて、本当のリーダーシップがないとダメ。もともとが求心力のない、任意の組織だから。組織としての形がない、ただの寄り集まりだから。だからこそリーダーの求心力がなければバラける。明文化されたルールがないから、リーダーの言葉がルール。
これは想像でしかないが、テロ組織にはルーティーンワークというものがない。決まりきった定型業務というものがない。組織としての形、外骨格というものがない。官僚型の組織とは正反対なものではないか。疎な組織というか、柔らかな組織というか。習慣なり繰り返しなりというルーチンがない。
テロ組織というのは、少数のトップと現場しかないんじゃないだろうか。すなわち中間管理層が組織としてない。ヒトを集めて、訓練して、カネを集めて、攻撃作戦をたてて、襲撃して、逃げる。すべてが現場判断で動いているんじゃないか。いちいち上層部の指示をあおいでいるとは想像しにくい。現場判断で動く組織。ゆるい組織。現場判断で動くから速いし捕まえにくいけど、組織としての力は発揮しにくい。
そんな組織を具体的なひとつの目標に向けてドライブするのは、リーダーのカリスマ性ではないだろうか。
リーダーを失ってもテロはなくならない。それはそうだが、大規模なアクションを起こすことはできなくなるのではないか。関与する人数が増えれば増えれるほど、秘密を維持することは難しくなる。秘密を維持し、目標に向かって行動することを支えるのはロイヤリティだ。組織への、大儀への忠誠心である。もともと組織力の弱いテロ集団においてそれを支えるのはリーダーのカリスマ性。繰り返し大儀を説くものの存在。
テロ組織においては、組織のルールは極めて少ないんじゃないかな。会社定款とか、取締役会規定とか責任規定とか社員規定とかあるとは思えない。その場その場での判断で動いている。
組織としてのルールがなくて、反米とかイスラム理想国家建設とか、抽象的な概念でつながった集団。
潜伏し、訓練し、攻撃し、逃亡する。その活動に意味を与えるのはリーダーの言葉。抽象的理念だ。それは繰り返し説かれる必要がある。理念は飯に勝てない。豊かになればテロは存続し得ない。
テロに対する最高の対策は、国を豊かにすることだ。経済だ。
なんか、今、すごいこと言ったな、オレ。
9.11は10年前のことだ。この10年でウサマ・ビンラディンの影響力は低下していたという意見もある。
『エジプトのイスラム過激派の動きに詳しい専門家ヒシャム・ガーフル氏は、「アルカイダは、アラブ民衆蜂起が起きた時点で敗北した」と見る。アルカイダは、米国の後ろ盾を受けた中東諸政権もテロの標的にしたが、チュニジアとエジプトの独裁政権は民衆による平和的デモで排除されたからだ。その意味では、テロによって目的を達成するアルカイダのやり方は、アラブ民衆に否定されたことになる。』
上記は毎日.jpの記事から。「ビンラディン容疑者殺害:「アルカイダは衰退」米高官断言(毎日.jp)」
同じ記事にこのような言葉もある。
『リーダーを失ったアルカイダだが、ガーフル氏は「影響は象徴的なもので、行動様式が変わるとは思えない。報復攻撃もありうる」と指摘する。』
このビンラディン殺害の意味はむしろ、アメリカ国民に一体感をもたらした。その点が大きいかもしれない。それはテロリストのリーダーを亡き者にしたことによる世界的な危険度の減少よりも。世界は平和と安全に一歩近づいたのか、それとも逆に遠ざかったのか、にわかには判別し難い。アメリカという国自体が危険な要素のひとつ。(先日の日本の震災と原発事故へのアメリカの支援と援助を踏まえたうえでなお)
一体化した集団は現実的な影響力を持つ。オバマ大統領は復讐を果たしたことでパワーを得た。これからアメリカがどう動くのか。軍事的活動の量が減ることを、切に願う。平和的解決こそが、人類の尊厳だと私は信じる。それができないならば、人類に価値はない。
リビアは未だ燃えている。戦火はやんでいない。チュニジアやエジプトがこれからどのような国家を創っていくのか。理想ではなく、どのような現実を創っていくのか。それは希望であると同時にリスクだ。独裁政権ではない国のありかたのお手本を示して欲しい。希求。安定した独裁政権か、不安定な民主主義か。
不安定な民主主義のシステムの中でどのようなバランスをとっていくのか。「やっぱり昔がよかった」という風には言わないで欲しい。バラバラな意見を束ねていくのは困難だが、昔はよかったとは言って欲しくない。この選択には犠牲がともなっている。何に反発し、何を目指して政権に反対したのか、その理由を忘れずにいて欲しい。後ろを振り返らずに、前を向いて進んでいって欲しい。
傍観者のように響く自分の言葉が虚しい。
だがしかし。世界はつながっている。対岸の火事ではない。報復テロのターゲットとして福島原発もありえるという話もある。あるいは他の原発は?何が現実的な危機で何が非現実的なのか、誰に判断できるというのだ。この話題をここに書くのが適切かどうかという以前に、書かずにはいられなかった。他人事とは思えなかったからだ。
そしてこの国は。どうするのだ?
3.11により大きな経済危機に襲われたこの国は、もはや安定した地盤を持たない。今もなお、危機の最中にある。Still in crisis.
安定を失った危機の中にこそ、リーダーシップは求められる。
その必要に応えられる人がこの国にはいない。
まさか、あの犬のお父さんに国を預けることはしないだろうな。くしゃみで隕石を消しちゃうようなマジックを信じたりはしないだろうな。
テロに対する最良の対策がその国を豊かにすることだという仮説が正しいとすると、ODAとして経済支援を行ってきた日本のやり方は方向性として正しかったのだと言えるだろう。
ただ、その使い方が正しかったのかどうかは、また別の問題だ。効率の点と規模の点から。その国を豊かにすることに全く影響を与えない程度の規模であれば、無意味というしかないだろう。自己満足はあるかもしれないが。
貧しい国の経済発展のために、財をどのように使うのが一番効率的なのか。学問的研究のテーマとしてこれ程有意義なテーマもないんじゃないかな。
投稿情報: 鍛冶 哲也 | 2011/05/05 12:56