液晶薄型大画面テレビというものは、もうすっかり普及した、といってよいのでしょうかね。
先日、妻の実家で37インチのテレビを見てきましたが、お茶の間にある大画面はかなりの迫力がありました。30インチとは全然違う。ニュースのアナウンサーのアップとか、ほとんど等身大ですもの。それを近い距離で見てると、何か存在感がこれまでとはまるで違います。
こうなってくると、アップばかり多用したようなカメラアングルだと、みていて疲れてくるんじゃないかなと感じました。これからはもっと引いた、ロングのカメラアングルを使うのが主流になってくるのではないかな。
例えば、サッカーの試合を見る時なんかは、大画面のメリットが最も活きるような気がします。フィールドの半分くらいを映した映像は、小さな画面で見ているとほとんどディテールはわからない。米粒のようなサイズの選手の姿は、誰が誰だかわからない。でも。それを大画面で見ていれば、デジタルHD画質だと、かなりきれいに細かい部分まで表示できる。これまでとは違った、大画面ならでは映像体験が提供されることなると思います。単なるサイズの違いではあっても、それがもたらす体験の質の違いは大きい。それはある意味、別次元の体験。
そしてその大きな画面のどこに(誰に)注目してみるかは、送り手側ではなく、見る側が選ぶ。そんな風に視点の選択権までが送り手側、メディア側、編集者から、ユーザの側に移行するのではないか。
送り手側はこれまでと違って完成形としてではなく、ある程度加工した半製品のような形で、素材としてコンテンツを提供する。そんな風になるのでは?
カメラアングルがアップからロングに変われば、画面に映し出される情報量はこれまでよりずっと多くなるでしょう。そうなると、見る側の技術というか、スキルも変わってくるのかもしれません。そんな気がします。ひとつの画面から伝えられる情報量が多くなると、その全部を受け取ることができなくなるので、そこから受け取る情報の取捨選択がユーザ側で始まる。どこに注目するかで同じ番組を見ていても受け手側の印象は全く変わってくるかもしれない。
例えばロックバンドのライブ映像を流す時、これまではシンガーのアップ映像を中心とすることが多かった訳ですが、大画面の特徴を活かすならロングの引いた画面を増やすことができる。観る人の好みによってギタリストを中心に観ることもできるようになる。なんならドラマーだけ観ることだって。
高精彩で大きな画面にはゴチャゴチャと大量の情報を詰め込むこともできる。一方でシンプルにすっきりとした画面で表現することで、大画面のインパクトを利用することもできる。表現の可能性の幅が広がることになると思います。
そしてまた、もうひとつの大きな変化のファクターが、ケータイ。携帯電話で映像を見る時間が今後は増えてくるだろうと予想します。隙間時間を埋めるために短いコンテンツをみる機会はこれからきっと増えるでしょう。そうなると、ケータイ用の映像コンテンツには、テレビとはまた違ったつくり方、作法が求められるのだと思います。先程のテレビとは逆に、画面の小さなケータイ向けには、アップを多用したカメラアングルが主流になるはず。その方がわかりやすいし、映像のインパクトが与えられるから。ちょっと考えてみても、サッカーのフィールド映像をケータイで見たって何がなんだかわからないでしょうきっと。だから、テレビとケータイとでは映像の撮り方、編集の仕方が違うやり方になるでしょうね。
そしてテレビについてもうひとつ思うのが、番組の品質について。不況の影響を受けて、テレビの広告収入はひどい落ち込みのようです。これによって、当然ながら番組制作費は大きく削られるようになると思われます。間違いなく。そうすると、テレビの番組はどれもこれも、深夜番組のようなチープなものが増えてくる。ゲストを呼んで、喋らせるだけのトーク番組がますます増えるのでしょうね。制作費削減は制作現場に大きく影響する。文化の豊かさにとってはマイナスの影響が発生します。多様性を維持、発展させることはできないものか。
これから先、映像コンテンツの制作と流通はどうなっていくのか。ネットを使ってコンテンツをうまくマネタイズする方法はないものか。
カネとヒトが、ネットを通じて回っていくような仕組みはつくれないものなのか。
ユーザがCMをつくったらどうなるのか、という観点でユーザ参加型の広告サービスというのを提供しています。
ユーザ発信のメディアを企業とユーザ間のコミュニケーション手段として活用していこうという試みです。
たぶんきっとまだ、ひねりが足りないような気がしてはいるんですが。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。