今、電通の岸勇希という人が書いた「コミュニケーションを デザインするための本」という広告の本を読んでいる。結構、評判の良い本だ。まだ第一章を終えたばかりだが、気になったことをメモしておきたい。
第一章のテーマは広告の変化。情報の量が増えたという話だ。そらもう、べらぼうに増えた。全国レベルのメジャーなテレビが5局。新聞が4紙。雑誌はたくさん。種類は多いし、エリアは全国のものが多いが、規模は小さい。ラジオは、・・・何局あるのかしらない。けど、多分テレビと同様、メジャーは数局で、マイナーな地方局はたくさんあるのだろう。
これら4マス媒体に対して、インターネットは?と、いうと。これがまたべらぼうだ。インターネットについては、その情報流通に関しては、地方の限定性はないから、上のくくりで言うと全てがメジャーということになるが。媒体という意味では、全てのドメインが媒体に当たるので、その数、無限大。いや、無限というのは大げさにしても、テレビ、新聞、雑誌で全国をカバーするメディアが数局、つまりひと桁なのに対して、インターネットにはそれが無数にある。
情報量がこれまでと比べると桁違いに増えている。比較にならないような増え方だ。情報環境は激変しているという認識。情報量の爆発的増大は、同時に広告としての媒体価値の分散化、細分化、希釈化を意味している。その変化は過激。ブログやSNSの消費者発信型(CGM型)メディアの登場によって、情報量はまさに爆発。これまでの常識は根底からひっくり返された状態にある。
この過激な変化を可能にしたのは、検索という技術。いきなり膨大な量に増えた情報の量を、しかし、その中から求める情報を得られるように、つまり莫大な情報をそれでも使えるようにしている仕組みが検索だ。検索技術がなかったら、インターネットがここまでの影響を与えることはなかっただろう。
人々は、可能性としては膨大な選択肢を手にしたことになる。その規模はべらぼうだ。未だかつて経験したことのない程のボリュームがいきなり登場したのだ。しかし、その情報の価値は高い。従来の企業や媒体が発信してきたオフィシャルな情報とは異なり、消費者自らが、自らの意思により発信している情報であるからだ。利益追求の動機によらない、フラットな、ニュートラルな立場からの発信であるからだ。
情報発信のためのコストの劇的な低減。ていうか、ブログってタダだし。発行コストがタダのメディアなんて今まであったか?
広告としては、このような過激な環境の中で、人々の注目を集めなければいけない状況に置かれた訳だ。こりゃあ、てえへんだわな。一大事ってなもんだ。ところがその一方で、この変化はクチコミという新しいエフェクト(影響)も生み出した。これまた、どえれえ大変化だ。このエフェクトを味方につけられるかどうか。
クチコミを捕まえられなかったら、広告なんて意味のないものになる時代が到来しているのではないだろうか?
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