私は時々不安になることがある。自分が書いたり話したりする言葉はオリジナルなものなのかそれとも誰かの受け売りなのか。どこかで聞いた話をそのまま繰り返しているだけではないのか。
はたして自分はオリジナルな言葉で語っているのだろうか。それともオウムのように誰かの言葉を繰り返しているのではないか。誰かの言葉を繰り返しているだけなら、それは録音機でしかない。私の自由意思はあるのだろうか。
ネットの時代に情報は豊富にあふれている。引用という手段をだれもが利用している。作用と反作用。アクションとリアクション。
コピーの集積。コピーの集大成。コピーの寄せ集め。それがおれの正体なのか。コピーではないオリジナルな自分なんてものは一体あるのか。
それはわからない。
おれは言葉を創り出してはいない。おれの語る言葉は誰かが既に語った言葉。 おれが発明した言葉ではない。おれが創り出したものではない。
まあそれでもよいではないか。例えば音楽だって、初めは誰かのコピーから始まるものだ。コピーを続けてその中からどうしようもない自分の中の自分らしさがにじみだしてくるのかもしれない。
信じられるものなんてその程度のものじゃないのか。まあいいや。コピーならコピーでもいい。だって言葉を覚えた一番初めは人の言葉をコピーしてただけだもんな。始まりはみんなコピー。
その中からいかにオリジナリティをかもしだしていくか。
おれはやっぱりコピーのままではいたくないな。
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