最近私は「ウェブ進化論」の作者、梅田望夫氏の「ウェブ人間論」、「フューチャリスト宣言」、「ウェブ時代をゆく」などの著作からバリバリ刺激を受けています。
その梅田氏の最新作「ウェブ時代 5つの定理」という本の中で、グーグルCEOエリック・シュミットの言葉が紹介されていた。
エリック曰く、「インターネットは、人間の最も基本的な要求、つまり知識欲と、コミュニケーションをはかること、そして帰属意識を満たすことを助けるものである。」
実に簡潔にして明快、そして本質をついた言葉だと思う。私がこのブログで考えたいと思っているテーマに、驚くほどぴったりはまる言葉だ。インターネットの本質は正にここにある。知識とコミュニケーション、そして仲間同士の帰属意識。
コンピュータ同士をルーズにつなぐネットワークを意味するインターネットは、物理的にはそれだけのものだし、iPodやPSPなどディバイスの違いを超えて普及したポイントは、簡単、ルーズにつなぐプロトコルのシンプルさによるものだ。インターネットの本質はこれらの点にあるというこもできる。
だが、人間社会に与えるインターネットのディープインパクトの正体は、「つなぐ」、ということにあるのだろう。英語で言うと「Link」。
人と情報をつなぐ。情報を介して人と人をつなぐ。そのことによって、人のあり方が変わる。人の考えるやり方、方法が変わる。
人の考え方や世界観を変えるきっかけとしては、本との出会いや人との出会いが契機となることが多い。インターネットが変えるのは、その出会い方だ。インターネットによって、出会いの機会が従来と比べて簡単になり、その機会が増えているはずだ。
情報を調べたり、人に聞いたりすることが便利になった。それはビジネスの生産性を高めたり、コラボレーションの質を高めたりすることにつながっている。時代の流れが速くなっていると感じるのは、そのせいかもしれないね。従来より短時間で結論が出る。
人間の考えるやり方が変わることによって、社会そのものも変わる。よい方へ?それともわるい方へ?それはインターネットには関係のないこと。情報や人とのマッチングが効率化しただけのことで、時間の流れを加速しただけ。結論を出しているのは、そして選択を決定しているのは、従来から変わらず、それは人間だ。
そして、もうひとつ。「Link」という言葉には関連付けるという意味がある。考えるということは、言葉(=概念)と言葉を関連付ける、ということ。言い換えるなら、言葉と言葉をつなぐ、ということだ。
従来、人の頭の中で行われてきたこの言葉と言葉をつなぐ、という行為が、インターネットによって外部化されてきているように感じている。「見える化」されているといってもいい。書いたものが残る。ネット上でいつでも参照できる。このことは、個人で考えるということが集団で考えるという方向への変化し始めていることではないだろうか。人間自身がグリッド・コンピュータ化する方向にある?
コラボレーションやブレインストーミングという形で、これまでにも集団で考えるということは行われてきたことでもある。これもやはりインターネットによってそのやり方が変わるということのようだ。
群衆の知というものが、思考の結果投票だけでなくそのプロセスそのものを変えていくのではないだろうか。
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