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2010/11/22

コメント

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snafkin7

失礼いたします。

SNSと違って申し訳ないんですが、先日、新しい検索エンジンはないかなとサーチしてましたら、アメリカに
「個人情報検索エンジン」
http://www.zabasearch.com/

なんていうのがありました。これを見て、アメリカでFacebook流行る理由がちょっとだけわかったような気がします。(本当はわかってない・笑)
個人情報にいちばんうるさそうなアメリカが実は、なんかアケスケなんですよね。
電話帳(イエローページ)にも載ってない電話番号が出てくるっみたいなふれこみですが、ええっと思いました。

かねたこうへい

私の場合は、ネットにしろリアルにしろお互いが匿名だったり、お互いが「ネイキッド」だったりすれば違和感ないですね。関係が非対称だと気持ち悪いです。

鍛冶 哲也

snafkin7さん

SNSといったら、日本だとmixiとかモバゲーとかをイメージしますが、これらは匿名が主流です。若い人たちは本名やその一部(と思われる名)を名乗ってる人もいますが。Facebookなんかは画像も自分の写真を出し、本名出してるイメージが。(私はFacebookやってないのでイメージですが)

かねたこうへいさん

確かに、関係が非対称だと気持ちが悪い。そのとおりですね。以前、勝間和代さんのブログが炎上した時、勝間さんはブログのコメント欄を閉じてしまいました。顔もさらして、いろいろオープンにして書いている勝間さんに対して、匿名でひどい言葉が大量に書き込まれるという状況が、勝間さんにとってとても不快だったのかもしれない。

お互いがネイキッドだったら違和感がない。ただ、1対1の関係ではなく、多対多の関係の中で、お互いがどこまでネイキッドになるのか、そこら辺はバランスの問題な気がします。デジタルではなく、アナログな感じ。ゼロかイチかではなく、その中間のグレーゾーンで心地よいバランスを探るような。

ただ、時代の流れはオープン化の方向にあり、その流れを止めることはできないだろうと私は感じています。

問題は、どこまで?どこまでネイキッドになりたいか?

鍛冶 哲也

本文の中で、私はネットの本質は出会い系であると決め付けていますが、日本のSNSの現状は違うかもしれない。mixiやモバゲーやグリーは。

mixiは、リアルな友人関係の中でネットで言葉のやりとりをしている面がある。出会いというよりはコミュニケーションの場。リアルな場でつくられた関係をネットでも続けている。高密度化している。サークル掲示板状態。

モバゲーやグリーは、やはりゲームが中心。人間関係はゲームの要素、スパイス。中心ではない。モバゲーは、出会い系的な要素を積極的に排除している。

出会いを求めるアメリカの流れとは違いがあるのかもしれません。出会いを求めるからこそ、自分の情報を出す。それも見知らぬ誰かに自分をアピールするという意識を持ちつつ。それは友人同士の間で自分をさらけだすのとは違う。

mixiはリアルな人間関係がベースとなっているので逆に本名は必要がない。もともとお互い知っているから。ネットに出会いを求めてはいない。

出会いを求める人は、自分がどんな人間なのかを明らかにしなければいけない。

ネットはツール。何を求めるかによりその姿は異なる。出会いを求めるか、仲間内での井戸端会議を求めるか。

例えばTwitterなんかは、かなり偶然的な要素があって、オープンな場であるように私は思う。出会い系に近いような。でも日本ではTwitterも井戸端会議に近い使い方をしている人が多いような気がする。感覚論ですが。仲間内での会話的な使い方。

求めるものが、外向きか内向きかの違いがそこにはあるように思う。 

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